北方領土の話題と最新事情

北方領土の今を伝えるニュースや島の最新事情などを紹介しています。

北方領土遺産

択捉島で発見された観音像 流感で死んだ島民の冥福を祈って建立した三十三観音像の1つか? 建立したのは高橋暁道さん(元護国寺住職=別海)

今年7月、択捉島の留別で見つかった観音像について、新たな情報が寄せられた。観音像の願主は、戦前留別にあった曹洞宗・法蔵寺住職の故高橋暁道さんで、大正から昭和にかけて悪性の流感で村人が多数死んだことから、犠牲者の冥福を祈って建立した三十三観音…

『逃げるべきか、とどまるべきか』--若き支庁長の決断

あるいは、この人が北方領土問題を強く意識して、行政としての対処方針を示した最初の人かもしれない。 ソ連軍が北方四島に上陸、占領した時の根室支庁長・徳永俊夫さんである。 「島民ニ告グ」という支庁長告示の中で「領土関係は未だ正式決定を見ず、従っ…

「消える四島の日本建築」 択捉島・紗那国民学校の一部が解体された

9月15日付毎日新聞に、択捉島に残る数少ない日本建築「紗那国民学校の一部が老朽化のため取り壊された」という記事が掲載されていました。紗那国民学校は1938年(昭和13)に建設され、当時の名称は紗那尋常高等小学校でした。ソ連占領後は、日本人が島を追わ…

択捉島の日本建築「紗那国民学校」の一部が取り壊された

択捉島に残る数少ない日本建築の1つ「紗那国民学校」の一部が取り壊されたようです。最近の写真(下)を見ると、右側にあった大きな建物がなくなっています。択捉島の行政関係者から、老朽化による取り壊わしの可能性が指摘されていた部分です。 https://moto-…

色丹島、1950年代の街並み サハリンの女性が写真保管

北海道新聞2020/8/9 北方領土が1945年(昭和20年)に旧ソ連に実効支配された後、ソ連の建築物などが増えた1950年代半ばの色丹島の街並みや捕鯨基地が写ったモノクロ写真を、当時、島で暮らしていたロシア・サハリン州の女性が保管していることが分かった。こ…

根室--国後 旧海底ケーブル施設「陸揚庫」文化財へ一歩

北海道新聞2020/8/7 戦前、根室と北方領土・国後島を結んだ電話用の海底ケーブルの中継施設で、根室市内に建物が残る「陸揚庫(りくあげこ)」で6日、文化庁の文化財調査官が国の登録有形文化財指定に向けた調査を行った。

根室の陸揚庫、文化財登録へ 文化庁調査官が現地調査へ

読売新聞2020/8/1 戦前の北方領土・国後島と根室市を結ぶ電話回線として使用された太さ約7センチ、全長約38キロの海底ケーブルの関連施設で、同市西浜町に残る「旧千島回線陸揚げ庫」跡を、貴重な歴史的遺産として国の有形登録文化財に登録する準備を、根室…

『私たちは旧島民に温かい気持ちを持っている。一緒に住んでいたとき、助けてもらったのだから』

1992年ビザなし渡航第1陣(四島在住ロシア人19人)の新聞記事から 1992年4月22日—27日まで、ビザなし交流(北方四島交流)の第1陣として初めて北海道を訪れた四島在住ロシア人19人。当時の新聞記事を読むと、新たな歴史の扉を開く出来事だったようです。 ロシア…

択捉島・天寧 日本軍の巨大な遺構 真珠湾奇襲部隊が出撃した単冠湾を望む

ロシアのニュースメディアサイト「Fishki.net」に、択捉島のブレベスニク(天寧)に残る日本軍の遺構を紹介した記事があります。(「エトロフpart 2」2019年2月16日)-- 日本軍の巨大な施設が今も残っているとは知りませんでした。 『マロボドナヤ川(黒木内川)を…

択捉島・留別で見つかった観音像 願主は法蔵寺の高橋暁道住職だった

択捉島の留別で発見された千手観音像が彫られた石仏(7月10日サハリン・インフォの記事)は、留別墓地近くにあった法蔵寺(曹洞宗)にあったものだったことがわかった。石仏の裏側には「昭和八年七月十(八?)日 願主 暁道」と刻まれていた。調べてみると、戦前、…

三角定規が見つかった国後島ウエンコタン川第1の滝と第2の滝

●ウエンコタン川第1の滝(2019年6月) 「タカハシレイコ」さんの三角定規は、国後島のウエンコタン川にある第1の滝と第2の滝の間にある川岸で見つかったという。 2011年9月と2019年6月の自由訪問に参加した時、2つの滝があるところまで行った。河口にほど近い…

三角定規が語る、モノがたり…

戦前、国後島に住んでいた、ある女性を捜している。きっかけは6月。北方四島在住のロシア人から送られてきた1枚の写真だった。あめ色のくしや髪飾りとともに写っていた三角定規。小刀で彫ったものか、ぎこちない片仮名で「タカハシレイコ」とあった。セル…

文藝春秋1969年8月号「千島列島最後の日」

ある元島民の手記が掲載されている1969年(昭和44)の発行の月刊文藝春秋8月号と、1975年(昭和50)発行の「季刊北方領土」(北方領土問題対策協会)を入手しました。確認したいことがあって、インターネットで検索し、古本屋で在庫を見つけました。この文藝春秋が…

編み継がれる「猪谷式靴下」 2010年に「暮らしの手帖」が編み方を紹介

❐北方領土遺産「猪谷式靴下」 国後島の古丹消で6年間暮らし、その間にスキー用靴下を完成させた日本スキー界の草分け、猪谷六合雄さん。あったかく、丈夫で型崩れせず、独特の色合いを持った猪谷式靴下の編み方を島民にも教えた。その子供や孫が今なお編み継…

択捉島ラウス沼で千手観音像の石板を発見 紗那の博物館に展示へ

❐北方四島の話題 サハリン・インフォ2020/7/10 択捉島タンコボエ湖(クイビシェフスコイ湖=ラウス沼)にある孵化場で千手観音像が彫られた石板が発見された。クリリスク(紗那)にある博物館のリリア・パリー館長は「石のプレートは水産企業コンチネント社の従業…

ネットで見つけた猪谷六合雄さんの資料

❐北方領土遺産 国後島のまれびと--猪谷六合雄の流儀【資料編①】 ●富士見商工会通信(平成27年3月15日) ●オートキャンプ第177号 2010年(平成22年)11月15日〈毎月1回15日発行〉 発行所/社団法人日本オート・キャンプ協会 日本で初めて自分でキャンピングカー…

昭和39年、羅臼を訪れた猪谷さんは古丹消に残した小屋を探した

❐北方領土遺産 国後島のまれびと—猪谷六合雄の流儀⑤ 猪谷六合雄さん一家が国後島・古丹消を去ってから10年後の1945年(昭和20)年9月、国後島はソ連軍に占領された。 それから19年後。1964年(昭和39)、猪谷さんは根室と羅臼を訪れている。74歳になっていた。…

『さらば、古丹消』

❐北方領土遺産 国後島のまれびと—猪谷六合雄の流儀④ 写真 滝の下の小屋 国後島・古丹消で6年間暮らした猪谷六合雄さんは、古丹消についてこう書いている。 「古丹消は島の楽園である。千島特有の猛烈な濃霧(ガス)もここだけは敬遠して通る。春の若草が萌え…

試行錯誤8年、猪谷式手編み靴下が古丹消で完成 酷寒の2月でも一足で間に合う

❐北方領土遺産国後島のまれびと--猪谷六合雄の流儀③ 写真 「猪谷六合雄スタイル-生きる力、つくる力」より 猪谷六合雄さんがスキージャンプを始めるようになって困ったのが靴下だった。スキー用の靴下などあるはずもなく、市販の靴下を5足重ね履きしていた…

『昭和初期に国後島ほどスキー体育に積極的に取り組んだ例はない』

❐北方領土遺産国後島のまれびと--猪谷六合雄の流儀② 猪谷六合雄さんが1929年(昭和4)に国後島・古丹消に移住した頃、人口200人の村にはスキーと呼べそうなものは2、3台しかなかった。この当時の国後島では郵便の集配や営林署の職員らが山歩きの際にスキー…

国後島の「まれびと」--猪谷六合雄の流儀

❐北方領土遺産 5月2日付北海道新聞の「朝の食卓」で国後島にスキー文化を広めた猪谷六合雄さんの話を書きました。

「猪谷式」靴下を編み継ぐ元島民のおばあさんがいた

❐北方領土遺産 北海道新聞2020/6/9昭和のはじめ、ふらりと訪れた国後島・古丹消が気に入って、そのまま6年間暮らした猪谷六合雄さん。日本スキー界の草分け的存在で、島民にスキーやジャンプを教えたばかりでなく、島の生活文化にも様々な影響を与えていた。…

根室市教育委員会の初任者教職員研修で北方四島の話をしました

根室市内の小中学校に配属になった新任教職員に対する研修の一環として、北方四島のお話をさせていただきました。皆さん、真剣に聞いていただきありがとうございました。

「千島への道は根室からであった」…村田吾一

❐北方領土遺産…『根室波止場の石畳』 「千島への道は根室からであった」--。村田吾一さんが根室波止場の思い出を書き残しています。村田さんは、昭和3年から16年まで国後島の古釜布、植内、乳呑路の各学校で教鞭をとり、戦後は羅臼村の公選初代村長を務めた…

足裏の思い出 根室波止場の石畳

今日3月25日の北海道新聞「朝の食卓」に元島民の思い出の中に残る、根室波止場の石畳の話を書きました。弁天島に向かって、かまぼこ型に突き出た石畳の波止場は、人生の様々な事情を抱えた人々が交差した北方四島への玄関口でした。 足裏の思い出 択捉島出身…

千島電信回線陸揚庫が国指定文化財への登録に向けて調査

❐北方領土遺産 今日(3月20日付)の北海道新聞根室版に千島電信回線陸揚庫の記事が掲載されていました。国が指定する有形文化財への登録に向けた現地調査が予定されています。 (参考) 北方領土遺産「千島電信回線陸揚庫」…① https://moto-tomin2sei.hatenablog…

北方四島統治の命令文書を発見 終戦直後に旧ソ連が作成 日本人の任用・転居つぶさに

❐北方領土遺産 北海道新聞2020/3/8 旧ソ連が1945年(昭和20年)8月から9月にかけて北方領土を占領した後、自国の法律に沿って実効支配を進めるために現地当局が作成した命令文書が、ロシア・サハリン州の国立歴史文書館で見つかった。当時、国後島に…

蘂取、はるかなり

今日の北海道新聞朝刊「朝の食卓」に択捉島蘂取村出身の山本昭平さんの話を書きました。何度か体験談をお聞きしていますが、毎回、きまってウルウルする場面があります。飼っていた犬たちが海に飛び込み、飼い主たちが乗った引揚船を追ってくるシーンです。…

シュムシュ島 日本軍の地対空砲をネットで販売

❐北クリルの話題 サハリン・インフォ2020/1/31 北クリルのシュムシュ島(占守島)に残っている旧日本軍の対空砲がインターネットのサイトで売られている。売り手は商品を「タイプ78.75 mm」と説明している。彼らがシュムシュ島の戦いの証である戦争遺産を盗み…

『国後島・植古丹~母のふるさとを訪ねて』

令和元年度自由訪問実績報告用に書いた原稿です。 『国後島・植古丹~母のふるさとを訪ねて』 2019年(令和元年)度の第3回自由訪問に妻と共に参加し、母のふるさと国後島の植沖地区をはじめラシコマンベツ、植内を訪ねました。自由訪問としては2011年9月以来8…