北方領土の話題と最新事情

北方領土の今を伝えるニュースや島の最新事情などを紹介しています。

北方領土遺産

四島の財産権、議論置き去り 北方領土土地訴訟20年 自分の土地、登記変更できず

釧路地方法務局根室支局に保管されている北方領土の登記簿 79年前の旧ソ連の侵攻により北方領土を追われた元島民の故舛潟喜一郎さんが、北方四島に残してきた土地の登記を巡って国と争った「北方領土土地登記訴訟(舛潟訴訟)」で、最高裁が原告の訴えを棄…

今年満95歳を迎えた「陸揚庫」と流氷と…

陸揚庫が建つ根室市ハッタラ浜にも流氷が接岸しました。陸揚庫はハッタラ浜と国後島ケラムイ間の根室海峡に敷設された海底電信線と根室側の陸上線を接続する施設でした。建てられたのは1929年(昭和4年) 9月ですから、今年満95歳を迎えます。 ※写真はいずれも…

陸揚庫紹介の動画、北方領土コンテスト入賞 根室・鈴木さん作成「認知度向上のきっかけに」

【根室】本年度の北方領土動画コンテスト(道主催)で、根室市の地域おこし協力隊の鈴木康史さん(39)が作成した動画が入賞した。終戦まで北方領土・国後島と根室を結んだ電信用の海底ケーブルの中継施設「陸揚庫(りくあげこ)」(市西浜町)を紹介する…

胸を離れぬ望郷 楽しい記憶 7日北方領土の日 元島民の体験、漫画動画に

【根室】色丹島出身の木根繁さん(86)の故郷への思いを描いた漫画を基にして、アニメ風の動画を作成したと、千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)根室支部が5日発表した。「北方領土の日」の7日、動画サイト「ユーチューブ」上で公開する。若い世代への…

北方領土の歴史遺産を研究する 右代啓視さん

ロシアが実効支配する北方領土の国後、択捉、色丹の3島を10回以上訪れ、旧石器時代以降の遺跡や縄文土器、戦前の日本の建造物を調べた。日本人が住んでいたことを示す証しとして、かつて根室市と国後島をつないだ海底通信用ケーブルの中継施設の保全にも取り…

北方領土の実態、把握に限界 元島民驚き「こんな大きな湖が」

北方領土の歯舞群島と色丹島に大きな地形の変化が起きていた。より詳細な実態把握には現地調査が欠かせないが、ロシアが北方四島を実効支配する中では困難なのが実情だ。戦後、施政権が78年以上及んでいない日本の領土の変化は、衛星画像によって一定程度…

北方領土に新たな湖か 歯舞・色丹で地盤沈下進む 衛星画像分析、東方沖地震が影響か

北方領土の歯舞(はぼまい)群島と色丹島で地盤沈下が進み、過去40年間に地形が大きく変化している可能性が高いことが分かった。北海道新聞が40年間の衛星画像と戦前の地図を基に分析した。色丹島が約50センチ沈降した1994年の北海道東方沖地震な…

自由に渡れぬ島の記憶、どう継承 北方領土と硫黄島の島民の子孫らが東京でシンポ

北大スラブ・ユーラシア研究センターは20日、北方領土と硫黄島(東京都小笠原村)をテーマにしたシンポジウム「戦争、国家、失われた故郷」を東京都港区の明治学院大白金キャンパスで開いた。北方領土と硫黄島の島民の子孫らが戦後80年を目前にしても自…

もう一つの「材木岩」 国後島オキツウスの柱状節理

国後島の柱状節理はオホーツク海に面したストルブチャティ岬(材木岩)だけではない。島の反対側、太平洋側にもいくつか柱状節理が見られる場所がある。写真はヴァレンティーナ・テレホワさん撮影(「南クリルの観光」テレグラム2024/1/19) ※国後島の柱状節理と…

択捉島に米軍の捕虜収容所 1993年に米露が米兵捕虜の墓を合同調査 

ビザなし交流が始まって2年目にあたる1993年6月、米国とロシアが設置した捕虜・行方不明者(POW/MIA)に関する米露合同委員会の調査団が密かに択捉島を訪問し、第二次世界大戦で旧日本軍の捕虜となり択捉島で死亡したとされる米軍兵士の墓の調査を実施していた…

ソ連要員1万2,400人を訓練し、149隻の艦船を提供「これほど短期間に、これほど困難な訓練条件の下で、これほど多くの船舶を移送する作戦はこれまでなかった」…プロジェクト・フラ

海軍分遣隊3294「戦争日誌」 添付資料 (1) は、移送されるHULA-2プロジェクトの指揮官報告書である。この報告書は、9 月の戦争日誌に代わるもので1945 年 3 月 19 日の開始以来のこの活動の運営を網羅している。 アラスカ州コールドベイの海軍分遣隊はこの日…

「プロジェクト・フラ司令官の報告書」(米国国立公文書館)を読む

太平洋戦争の末期に、米国が対日戦争に備えてソ連海軍の軍備増強を支援した極秘作戦「プロジェクト・フラ (PROJECT HULA)」--。米国が提供した149隻の艦船はソ連太平洋艦隊に移管され、南樺太や朝鮮半島、そして北方四島を含む千島列島の侵攻、占領作戦に使…

ソ連占領下の紗那国民学校 子供たちは何を勉強したか 一時はスターリン憲法と伝記も

択捉島・紗那国民学校の青田武貴校長(故人)が残した『紗那国民学校経過報告書』によると、昭和21年1月、すべての教科書に対してソ連側の検閲が行われ、皇室に関する記述をはじめ戦争や神々に関するものは全部削除されたという。また、修身、国史、地理は禁止…

1946年9月9日 ソ連占領下の紗那国民学校 校庭で遊ぶ日本とソ連の子供たち

ソ連占領から約1年後の1946年9月9日、択捉島の紗那国民学校の校庭を写した2枚の写真がある。ソ連が島に派遣した学術調査団に随行していたソ連人の写真家イワン・ステパノビッチ・クワチが撮影したもので、撮影日時と場所が記録されている。写真のキャプショ…

紗那国民学校の「御真影」の顛末 ソ連の手で汚されてはならないと奉焼

択捉島・紗那国民学校の最後の校長を務めた青田武貴さん(故人)が残した「紗那国民学校経過報告」で、青田校長がいの一番に記しているのは「御真影奉護に関する件」だった。 御真影とは「天皇と皇后の写真」で、各学校には教育勅語の謄本とともに御真影を納め…

択捉島『紗那国民学校経過報告書』ソ連占領下で何が行われたか

今年1月に焼失した択捉島・紗那国民学校の最後の校長を務めた青田武貴さん(故人)は、1945年8月15日の「終戦の日」から、ソ連軍占領下での国民学校の出来事を「紗那国民学校経過報告」として記録していた。 ◉御真影奉護に関する件(勅語詔書) 昭和二十年八月十…

邦字新聞「新生命」に見る北方領土・南樺太からの引揚 ソ連のプロパガンダ

『新生命』はソビエト連邦極東軍管区によりユジノサハリンスク(1946年に豊原から改名)で、唯一存続していた日本語日刊紙『樺太新聞』がソ連当局により閉鎖された後、1946年に発刊された。新聞には「日本人住民への赤軍の新聞」と記載されている。同紙はソ…

「偉大なるスターリンへ感謝の言葉」北方領土元島民、引揚前日の帰国者大集会で

択捉島の紗那国民学校の青田武貴校長が書き残した「引揚日誌」の1947年9月18日に興味深い記述がある。引揚船への乗船前日、引揚者全員が参加して開かれる大集会で、紗那を代表して演説する団長の原稿作成を依頼されている。その原稿の下書きと清書が残ってい…

北方領土遺産「引揚日誌」 択捉島・紗那国民学校の青田校長が書き残した資料から

今年1月に焼失してしまった択捉島の紗那国民学校で、ソ連軍侵攻時に校長を務めていた青田武貴(たけき)さん(1990年に88歳で死去)が書き残した日誌などの資料を「北方領土遺産」として記録にとどめておきたいと思う。北海道根室振興局時代に取り組んだ「北方領…

根室港に着水したリンドバーグ機を「択捉島」の写真として掲載 北対協「デジタル図録」

北海道新聞で紹介されていた北方領土問題対策協会(東京)のウエブサイトにある「デジタル図録」「北方領土バーチャル資料館」をのぞいてみた。いずれも北方四島の元島民らから寄贈された貴重な資料だが、資料の説明でいくつか疑問を抱かせるものも見受けら…

北方領土で日本人が暮らした証し見て 元島民ゆかりの品、各地で展示

北方領土問題対策協会(北対協、東京)が、北方四島の元島民らから寄贈された、かつて島で使われた日用品などの公開に力を入れている。同協会のホームページ上での公開に加え、今年から各地で展示会を開き、今後は利用者が閲覧しやすいように資料のデータベ…

「平和甦る千島 経済、文化生活逐日繁栄」ソ連占領下、千島・南樺太で発行された邦字新聞「新生命」1946年9月3日付

ソ連による占領からちょうど1年後、千島・南樺太で発行されていた邦字新聞「新生命」1946年9月3日付紙面に「平和甦る千島 経済、文化生活逐日(ちくじつ)繁栄」と題した記事が掲載されていた。添えられた写真には、択捉島・紗万部にあった缶詰工場に鱒を水揚…

国後島・泊墓地 クナシリ・メナシの戦いで殺害された和人22人の墓碑があった

国後島の泊村の要覧(昭和12年版)に興味深い記述がある。村の「名所旧跡」として「松泉寺」が取り上げられている。「泊市街地東通(泊市街地東端高丘)にあり。境内に寛政元年国後騒乱の際夷人の為斃れたる松前藩足軽竹田勘平(当時国後会所の支配)の墓あり。(文…

知名度向上へ模索続く<もの言わぬ語り部 北方領土をつないだ陸揚庫>下

「これはソ健軍の北方領土侵攻を根室側に伝えた電信線の中継施設。実は歴史的建造物なんです」。戦前に北方領土国後島と根室側を結んだ通信用海底ケーブルの中継施設「陸揚庫」。この古びた建物の前で8月末、根室市職員の荒井徹さん(49)がこう説明した。(北…

根室市内の中学生ら74人が「陸揚庫」見学 北方少年少女塾で

根室管内の児童生徒が北方領土について学ぶ「北方少年少女塾」の一環で、根室市光洋中学校の1年生2クラスの生徒68人と引率教師6人が27日、根室国後間海底電信線陸揚庫を見学に訪れました。一度に70人を超える見学者が陸揚庫にやって来たのは初めてです。中に…

「朽ちた姿」覆屋で保存<もの言わぬ語り部 北方領土をつないだ陸揚庫>中

古びた姿が領土返還を待ち続ける根室の北方領土元島民のようにも見えるとして、「もの言わぬ語り部」と言われ始めた「根室国後間海底電信線陸揚施設(陸揚庫)」。この建物の周りに8月、縦横約50センチの計8枚のガラス板が取り付けられた。(北海道新聞2023/9/2…

陸揚庫保存の意義解説 根室市が市民説明会

根室市は24日、終戦まで北方領土・国後島と根室を結んだ電信用の海底ケーブルの中継施設「陸揚庫」の歴史的価値を解説する市民向け説明会を市内で開いた。講師を務めた市の谷内紀夫北方領土対策専門員は、参加した市民17人に「陸揚庫は本土側に残る北方…

四島侵攻伝えた「遺産」<根室 もの言わぬ語り部 北方領土をつないだ陸揚庫>上 

根室市の中心部から西に2キロ。根室海峡を挟んで国後島を望むハッタラ浜に、鉄筋コンクリート平屋の小さな建物がたたずむ。波際からわずか10メートルに立ち、風雪で外壁が朽ち、雨よけのひさしも所々崩れている。 戦前、国後島と根室を結んだ電信用海底ケ…

四島侵攻伝えた「遺産」<根室 もの言わぬ語り部 北方領土をつないだ陸揚庫>上 

根室市の中心部から西に2キロ。根室海峡を挟んで国後島を望むハッタラ浜に、鉄筋コンクリート平屋の小さな建物がたたずむ。波際からわずか10メートルに立ち、風雪で外壁が朽ち、雨よけのひさしも所々崩れている。 戦前、国後島と根室を結んだ電信用海底ケ…

ソ連軍の北方領土侵攻の証人「陸揚庫を学ぶ」市政ウオッチング9月24日開催 

令和3年10月、北方領土関連施設として初めて、国の登録有形文化財に登録がされた『根室国後間海底電信線陸揚施設(通称:陸揚庫)』の歴史的意義や保存と活用に向けた取り組みについて学ぶ「市政ウオッチングねむろ」が9月24日(日)に開催されます。陸揚庫は…