北方領土遺産
「国後島民の会」の令和6年度通常総会が17日、千島会館で開かれました。総会終了後の懇親会の余興として行われた「宝引き(ほうびき)」の様子です。水晶島の元島民・橋本三治さんによると、「二メートルくらいの縄を十五本ほど束ね、一本に鈴を付けてそれを当…
【根室】根室市松本町の清隆寺本堂を建造物の国登録有形文化財に登録するよう国の文化審議会が答申した15日、地元関係者に喜びの声が広がった。築99年の清隆寺本堂には北方領土・国後島の木材が使われ、1945年の根室空襲の被害も免れた貴重な建物。細川大憲…
北方領土・択捉島の元島民2世らが10日、島の記憶継承を目的とする団体「択捉島後継者の会『しるし』」を設立し、札幌市で総会を開いた。元島民が高齢化する中、2世や3世が中心となって活動を活性化させる狙いがある。(共同通信2024/3/10) 設立時点の会員は元…
ぷるぷるの身と卵を使い、家庭で作りやすいレシピで調理したゴッコ汁 ゴッコ汁で思い出しました。10年くらい前でしたが、根室振興局で北方領土対策の仕事をしていた時、歯舞群島・多楽島の元島民、能登与一さん(2001年死去)が帰れない故郷に思いをはせて描い…
水から煮て濃い褐色の殻が深紅に変わった花咲ガニが入った鍋に、みそを加えて万能ネギを散らす。シンプルだが濃厚なだしが至福の時を生み出す、根室を代表する汁物だ。単品450円で提供している根室市本町2「居酒屋福笑(ふくしょう)」店主の真井雅道(…
釧路地方法務局根室支局に保管されている北方領土の登記簿 79年前の旧ソ連の侵攻により北方領土を追われた元島民の故舛潟喜一郎さんが、北方四島に残してきた土地の登記を巡って国と争った「北方領土土地登記訴訟(舛潟訴訟)」で、最高裁が原告の訴えを棄…
陸揚庫が建つ根室市ハッタラ浜にも流氷が接岸しました。陸揚庫はハッタラ浜と国後島ケラムイ間の根室海峡に敷設された海底電信線と根室側の陸上線を接続する施設でした。建てられたのは1929年(昭和4年) 9月ですから、今年満95歳を迎えます。 ※写真はいずれも…
【根室】本年度の北方領土動画コンテスト(道主催)で、根室市の地域おこし協力隊の鈴木康史さん(39)が作成した動画が入賞した。終戦まで北方領土・国後島と根室を結んだ電信用の海底ケーブルの中継施設「陸揚庫(りくあげこ)」(市西浜町)を紹介する…
【根室】色丹島出身の木根繁さん(86)の故郷への思いを描いた漫画を基にして、アニメ風の動画を作成したと、千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)根室支部が5日発表した。「北方領土の日」の7日、動画サイト「ユーチューブ」上で公開する。若い世代への…
ロシアが実効支配する北方領土の国後、択捉、色丹の3島を10回以上訪れ、旧石器時代以降の遺跡や縄文土器、戦前の日本の建造物を調べた。日本人が住んでいたことを示す証しとして、かつて根室市と国後島をつないだ海底通信用ケーブルの中継施設の保全にも取り…
北方領土の歯舞群島と色丹島に大きな地形の変化が起きていた。より詳細な実態把握には現地調査が欠かせないが、ロシアが北方四島を実効支配する中では困難なのが実情だ。戦後、施政権が78年以上及んでいない日本の領土の変化は、衛星画像によって一定程度…
北方領土の歯舞(はぼまい)群島と色丹島で地盤沈下が進み、過去40年間に地形が大きく変化している可能性が高いことが分かった。北海道新聞が40年間の衛星画像と戦前の地図を基に分析した。色丹島が約50センチ沈降した1994年の北海道東方沖地震な…
北大スラブ・ユーラシア研究センターは20日、北方領土と硫黄島(東京都小笠原村)をテーマにしたシンポジウム「戦争、国家、失われた故郷」を東京都港区の明治学院大白金キャンパスで開いた。北方領土と硫黄島の島民の子孫らが戦後80年を目前にしても自…
国後島の柱状節理はオホーツク海に面したストルブチャティ岬(材木岩)だけではない。島の反対側、太平洋側にもいくつか柱状節理が見られる場所がある。写真はヴァレンティーナ・テレホワさん撮影(「南クリルの観光」テレグラム2024/1/19) ※国後島の柱状節理と…
ビザなし交流が始まって2年目にあたる1993年6月、米国とロシアが設置した捕虜・行方不明者(POW/MIA)に関する米露合同委員会の調査団が密かに択捉島を訪問し、第二次世界大戦で旧日本軍の捕虜となり択捉島で死亡したとされる米軍兵士の墓の調査を実施していた…
海軍分遣隊3294「戦争日誌」 添付資料 (1) は、移送されるHULA-2プロジェクトの指揮官報告書である。この報告書は、9 月の戦争日誌に代わるもので1945 年 3 月 19 日の開始以来のこの活動の運営を網羅している。 アラスカ州コールドベイの海軍分遣隊はこの日…
太平洋戦争の末期に、米国が対日戦争に備えてソ連海軍の軍備増強を支援した極秘作戦「プロジェクト・フラ (PROJECT HULA)」--。米国が提供した149隻の艦船はソ連太平洋艦隊に移管され、南樺太や朝鮮半島、そして北方四島を含む千島列島の侵攻、占領作戦に使…
択捉島・紗那国民学校の青田武貴校長(故人)が残した『紗那国民学校経過報告書』によると、昭和21年1月、すべての教科書に対してソ連側の検閲が行われ、皇室に関する記述をはじめ戦争や神々に関するものは全部削除されたという。また、修身、国史、地理は禁止…
ソ連占領から約1年後の1946年9月9日、択捉島の紗那国民学校の校庭を写した2枚の写真がある。ソ連が島に派遣した学術調査団に随行していたソ連人の写真家イワン・ステパノビッチ・クワチが撮影したもので、撮影日時と場所が記録されている。写真のキャプショ…
択捉島・紗那国民学校の最後の校長を務めた青田武貴さん(故人)が残した「紗那国民学校経過報告」で、青田校長がいの一番に記しているのは「御真影奉護に関する件」だった。 御真影とは「天皇と皇后の写真」で、各学校には教育勅語の謄本とともに御真影を納め…
今年1月に焼失した択捉島・紗那国民学校の最後の校長を務めた青田武貴さん(故人)は、1945年8月15日の「終戦の日」から、ソ連軍占領下での国民学校の出来事を「紗那国民学校経過報告」として記録していた。 ◉御真影奉護に関する件(勅語詔書) 昭和二十年八月十…
『新生命』はソビエト連邦極東軍管区によりユジノサハリンスク(1946年に豊原から改名)で、唯一存続していた日本語日刊紙『樺太新聞』がソ連当局により閉鎖された後、1946年に発刊された。新聞には「日本人住民への赤軍の新聞」と記載されている。同紙はソ…
択捉島の紗那国民学校の青田武貴校長が書き残した「引揚日誌」の1947年9月18日に興味深い記述がある。引揚船への乗船前日、引揚者全員が参加して開かれる大集会で、紗那を代表して演説する団長の原稿作成を依頼されている。その原稿の下書きと清書が残ってい…
今年1月に焼失してしまった択捉島の紗那国民学校で、ソ連軍侵攻時に校長を務めていた青田武貴(たけき)さん(1990年に88歳で死去)が書き残した日誌などの資料を「北方領土遺産」として記録にとどめておきたいと思う。北海道根室振興局時代に取り組んだ「北方領…
北海道新聞で紹介されていた北方領土問題対策協会(東京)のウエブサイトにある「デジタル図録」「北方領土バーチャル資料館」をのぞいてみた。いずれも北方四島の元島民らから寄贈された貴重な資料だが、資料の説明でいくつか疑問を抱かせるものも見受けら…
北方領土問題対策協会(北対協、東京)が、北方四島の元島民らから寄贈された、かつて島で使われた日用品などの公開に力を入れている。同協会のホームページ上での公開に加え、今年から各地で展示会を開き、今後は利用者が閲覧しやすいように資料のデータベ…
ソ連による占領からちょうど1年後、千島・南樺太で発行されていた邦字新聞「新生命」1946年9月3日付紙面に「平和甦る千島 経済、文化生活逐日(ちくじつ)繁栄」と題した記事が掲載されていた。添えられた写真には、択捉島・紗万部にあった缶詰工場に鱒を水揚…
国後島の泊村の要覧(昭和12年版)に興味深い記述がある。村の「名所旧跡」として「松泉寺」が取り上げられている。「泊市街地東通(泊市街地東端高丘)にあり。境内に寛政元年国後騒乱の際夷人の為斃れたる松前藩足軽竹田勘平(当時国後会所の支配)の墓あり。(文…
「これはソ健軍の北方領土侵攻を根室側に伝えた電信線の中継施設。実は歴史的建造物なんです」。戦前に北方領土国後島と根室側を結んだ通信用海底ケーブルの中継施設「陸揚庫」。この古びた建物の前で8月末、根室市職員の荒井徹さん(49)がこう説明した。(北…
根室管内の児童生徒が北方領土について学ぶ「北方少年少女塾」の一環で、根室市光洋中学校の1年生2クラスの生徒68人と引率教師6人が27日、根室国後間海底電信線陸揚庫を見学に訪れました。一度に70人を超える見学者が陸揚庫にやって来たのは初めてです。中に…