北方領土の話題と最新事情

北方領土の今を伝えるニュースや島の最新事情などを紹介しています。

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「根室新聞」が3月末で休刊 記者確保困難、74年余の歴史に幕

日本最東端の地方新聞「根室新聞」(本社・北海道根室市、従業員数11人)が3月末で休刊することが明らかになった。根室新聞社によると、取材記者の確保が難しくなったうえ、漁業衰退による人口減で部数が減り、新型コロナウイルス感染拡大の影響で広告収入も…

『釧路湿原の四季…冬』1988年(昭和63年) 1月から2月掲載

『釧路湿原の四季…冬』編は1988年(昭和63年) 1月26日から2月1日まで、6回にわたり北海道新聞夕刊1面に掲載されました。最終回の切り抜きは欠落しています。

『釧路湿原の四季…秋』1987年(昭和62年) 10月掲載

『釧路湿原の四季…秋』編は1987年10月19日から27日まで、北海道新聞夕刊1面に掲載されました。

『釧路湿原の四季…夏』1987年7月掲載

1987年(昭和62年) 7月21日から27日まで、北海道新聞夕刊1面に6回連載した「釧路湿原の四季…夏」です。

『釧路湿原の四季…春』 1987年5月北海道新聞夕刊掲載

1987年(昭和62年)5月15日から25日にかけて、北海道新聞夕刊1面に6回にわたり連載した記事です。釧路湿原が国立公園に指定された年で、釧路湿原の「春・夏・秋・冬」を、1年かけてスケッチする企画でした。入社5年目、29歳の時です。ちょうどカラー印刷が始ま…

『戦世(いくさゆ)の傷あと』(1986年8月掲載)

1986年(昭和61年)8月14日から8月24日まで、北海道新聞朝刊釧路・根室版に10回連載した「戦世(いくさゆ)の傷あと」です。入社5年目、28歳の時です。 沖縄に初めて足を踏み入れたのは大学4年の時だったと思います。横浜駅から鈍行列車を乗り継いで鹿児島まで行…

初めての海外取材 中国チチハル『鶴郷への旅』

1985年(昭和60年)6月17日から6月24日まで、6回にわたり北海道新聞夕刊1面に連載した記事です。釧路報道部の遊軍担当で、入社4年目の27歳でした。初めての海外取材で、ツルのふるさと「鶴郷」と言われた中国黒竜江省チチハル市郊外にある扎龍(ジャンロン)自…

「北洋哨戒」-- 初めての署名り、1面連載記事

1984年(昭和59年)2月22日から28日にかけて、北海道新聞夕刊1面に掲載された記事です。入社3年目、27歳の私は釧路報道部で警察や海上保安部を担当していました。厳寒の2月、千島列島沿いに北上し、北洋哨戒にあたる巡視船「だいせつ」に9日間同乗して書いた記…