北方領土ノート
樺太(現ロシア・サハリン)からの戦後引き揚げ者らでつくる全国樺太連盟(東京、西本美嗣会長)が、3月末で解散することが分かった。1948年の結成以来、引き揚げ者の援護や親睦のほか、樺太の暮らしや戦禍の伝承に力を入れてきたが、会員の高齢化で継…
作家で歴史研究家の半藤一利さんが1月12日に亡くなった。歴史とは何か、戦争とはなにかという問いに徹底的に向き合った半藤さん。「私に言わせれば昭和8年以来、日本に外交なんてものは一回もありません。北方領土のことで言えば、かつて幕府海軍を率い、…
1980~90年代、北海道立根室高校の地理研究部が元島民に聞き取り調査をして、住まいや学校、役場などの所在を大きな紙に描きました(縮尺5,000分の1)。人々の暮らしや豊かな自然が伝わってきます。(NHK戦争証言アーカイブス「北の戦い」より)
日本政府は、北方領土の植物分布を示す「植生図」を2021年度中に作成する方針を固めた。読売新聞が報じている。(スプートニク日本2021/1/5) 北方領土の植生図作成においては、日本政府による現地での調査ができないため、人工衛星画像を活用して作成するとい…
2021年1月4日の北海道新聞夕刊です。「千島通史の研究」を刊行した川上淳・札幌大学教授の寄稿が掲載されています。
北海道出版企画センターの野澤さんから「千島通史の研究」が届きました。札幌大学の川上淳教授が前職の根室市博物館開設準備室(現・根室市歴史と自然の資料館)の学芸員時代から20年の歳月をかけて完成させた711ページに及ぶ労作、大著です。 北海道新聞電…
北方四島周辺水域の安全操業で、根室のタコ空釣り縄漁船5隻がロシア国境警備局に拿捕されて17日で1年。操業を許可する道は再発防止に向け、拿捕の一因とされるタコの計量方法を厳格化した。だが、ロシア側は今年も「臨検」を繰り返し行い、監視の強化を続け…
ロシア外務省のザバロワ報道官は10日に行われたブリーフィングで、日本の東京で開かれた南クリル諸島(※北方領土)に関する展示会について「主催者が忘れていた主なことは、南クリル諸島に対する我が国(ロシア)の主権である。それは国連憲章でも明らかであり、…
ロシアが対米関係の悪化を背景に、北方領土で軍備増強を着々と進めている。1日には米国によるミサイル防衛(MD)網構築への対抗措置として、択捉島に高性能地対空ミサイル「S300V4」(射程400キロ)を実戦配備。既に北方領土に地対艦ミサイルを…
択捉島などを管轄するクリル地区行政府のヴァディム・ロコトフ市長は「択捉島の住民が米国への移住のためにグリーンカードを申請した事例は聞いたことがない」と強調した上で、クリル諸島に移住を希望する日本人やアメリカ人に対する支援を約束した。米国務…
クリル諸島(千島列島)中部のシムシル島(新知島)ブロトン湾とディアナ海峡の間にあり、オホーツク海へ抜ける水路にロシア太平洋艦隊のユーリ・イグナトヴィチ大尉の名前が付けられた。11月11日にロシア政府が決定した。サハリンとクリル諸島に約1,500あるとい…
「私には、これは国際法における新しい立場のように思える。そうであれば、アラスカで生まれた人は帝政ロシアの市民として認識されるべきで、私はその件で外務省と話す準備が出来ている」--。サハリンを訪問しているロシア政府のトルトネフ副首相は、クリル…
ロシア外務省は6日、実効支配する北方領土で生まれた人が米国永住権(グリーンカード)を申請する際、米政府が数十年前から出身国を日本として扱っていたことについて「米国務省は第2次世界大戦の結果に疑問を投げかけ、報復主義を広めようとしている」と…
ロシアが実効支配する北方領土で生まれた人が、米国永住権(グリーンカード)を申請する際、米政府が数十年前から出身国を日本として扱っていたことが、米国務省などへの取材で分かった。2018年からはグリーンカードを抽選で与える制度の応募規定に、出…
北方領土返還運動の原点・根室でも、75年前に根室町長、安藤石典(いしすけ)が四島返還の陳情書を起草した「12月1日」が長く意識されてきたわけではない。(北海道新聞・釧路根室版2020/12/2) ■やり場ない怒り 1855年(安政2年)に日露通好条約が…
「お客さん、ラッキーですよ。きょうは島がよく見える。あれが国後です。目の前にある島、みんな取られてしまったんです」 根室・納沙布岬にある土産物店「レストハウス請望苑(せいぼうえん)」社長、竹村秀夫(69)の朝は客とのそんな会話から始まる。新…
1945年(昭和20年)12月1日付で、当時の根室町長、安藤石典(いしすけ)が連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官に宛てて起草した北方四島返還を求める陳情書の試し刷りが、根室市歴史と自然の資料館に残っていた。陳情書は現在につながる領…
あるいは、この人が北方領土問題を強く意識して、行政としての対処方針を示した最初の人かもしれない。 ソ連軍が北方四島に上陸、占領した時の根室支庁長・徳永俊夫さんである。 「島民ニ告グ」という支庁長告示の中で「領土関係は未だ正式決定を見ず、従っ…
ロシア大統領府は(9月)29日、プーチン大統領と菅義偉首相による初の電話会談の内容を発表したが、日本側が最重要視する北方領土問題と日ロ平和条約について一切触れなかった。(共同通信2020/9/29) 【ロシア大統領府発表】 菅義偉日本国総理大臣との電話会談 …
ロシア地理的遺産プロジェクトの一環として、ニコライ・フヴォストフらが19世紀初頭に行ったサハリンとクリル諸島への遠征ルートをたどるツアーの一行が択捉島やサハリンを訪れ、映画制作のための資料収集を行った。企画したロシア地理学会リャザン支部長で…
『戦後、旧ソ連軍が占領した国後島から一家9人で根室へ向けて脱出した榎信雄さん(86)=旭川市=は、途中の海で弟妹5人を失った。両親と兄は他界し、当時を知るのは信雄さん一人になった。「現地を訪ねて線香を上げたい気持ちは今も変わりません」。24日に75年…
サハリンの歴史家イーゴリ・サマリン氏が神秘の島・マトゥア島(松輪島)に関する著作2巻を著した。クリル諸島中部の小さなこの島は、活発なサリチェフ火山を除けば平凡な島である。1875年にサンクトぺテル条約(千島樺太交換条約)でクリル諸島を受け取った日本…
スプートニク2020/9/3 今年4月、ロシアのプーチン大統領は9月3日を「第2次世界大戦終結の日」とする法案に署名した。日本の降伏文書が調印されたのは1945年9月2日。同年、ソ連では9月3日を「対日戦勝記念日」と定めて祝日とすることが正式に承認された。一方…
1945年9月2日、日本の無条件降伏の調印式が行われた。歴史的なイベントは東京湾に停泊するアメリカの戦艦ミズーリで行われた。戦争に負けた国を代表して重光外相と梅津参謀総長が署名した。セレモニーには多数のジャーナリストが招待され、日本と戦ったほと…
サハリンの歴史家イーゴリ・サマリン氏が「マトゥワ島の歴史」と題した2巻の作品を発表した。ユジノサハリンスクのポベダ博物館の科学部長を務めるサマリン氏は、15年ほど前からマトゥワ島(松輪島)に関する資料収集を開始。2016年から2017年にかけて、ロシア…
ロシア国防省は第二次大戦の終結75周年に合わせて、極東における第二次大戦終盤の軍関係文書の機密解除を行い、同省のウエブサイトで公開した。文書は「満州戦略」「南サハリン攻撃」「クリル諸島上陸(※占守島の戦闘関係)」の3つの主要な作戦に関する戦闘経…
1945年11月30日の北海道新聞に「色丹村長の梅原衛氏は、27日朝根室にひょっこり姿を現した。ソ連軍の許可を得て島の生産物販売の使命を帯びて来た」という記事が出た。 村長は75年前の9月1日朝、斜古丹湾に面した役場前の橋から、ソ連軍上陸を見届けた。3隻…
戦後75年 領土の記憶(5) 極寒の樺太 過酷な抑留生活を耐え 産経新聞2020.9.1 北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)を不法占拠したソ連は昭和22(1947)年夏から23年秋にかけ、それぞれ島に残った島民たちを強制的に退去させた。ただ、島…
1945年9月1日--。この日、クリル諸島上陸作戦史上、極めて重要な出来事があった。早朝、ソ連軍の2隻の上陸用舟艇が40分ほどの時間差で国後島フルカマップ湾(現ユジノクリリスキー湾)の沖合に姿を現した。現在のユジノクリリスク市のすぐ近くである。最初の上…
1945年8月31日、カムチャツカ時間の正午(日本時間午前10時)、カムチャツカ防衛区軍司令官グネチコ少将とウルップ島(得撫島)の日本軍第129独立混成旅団の旅団長・仁保進少将が会見。ウルップ島の日本軍は降伏文書に署名した。これによって、カムチャツカ防衛…