北方領土の話題と最新事情

北方領土の今を伝えるニュースや島の最新事情などを紹介しています。

北方領土ノート

『逃げるべきか、とどまるべきか』--若き支庁長の決断

あるいは、この人が北方領土問題を強く意識して、行政としての対処方針を示した最初の人かもしれない。 ソ連軍が北方四島に上陸、占領した時の根室支庁長・徳永俊夫さんである。 「島民ニ告グ」という支庁長告示の中で「領土関係は未だ正式決定を見ず、従っ…

この違い!! 日ロ首脳電話会談公式発表

ロシア大統領府は(9月)29日、プーチン大統領と菅義偉首相による初の電話会談の内容を発表したが、日本側が最重要視する北方領土問題と日ロ平和条約について一切触れなかった。(共同通信2020/9/29) 【ロシア大統領府発表】 菅義偉日本国総理大臣との電話会談 …

択捉島を襲撃したフヴォストフの映画制作 ロシア地理学会

ロシア地理的遺産プロジェクトの一環として、ニコライ・フヴォストフらが19世紀初頭に行ったサハリンとクリル諸島への遠征ルートをたどるツアーの一行が択捉島やサハリンを訪れ、映画制作のための資料収集を行った。企画したロシア地理学会リャザン支部長で…

弟妹5人 脱出時に海で遭難死 「国後で線香を」変わらぬ思い

『戦後、旧ソ連軍が占領した国後島から一家9人で根室へ向けて脱出した榎信雄さん(86)=旭川市=は、途中の海で弟妹5人を失った。両親と兄は他界し、当時を知るのは信雄さん一人になった。「現地を訪ねて線香を上げたい気持ちは今も変わりません」。24日に75年…

サハリンの歴史家が要塞の島マトゥア(松輪島)の伝説を暴いた

サハリンの歴史家イーゴリ・サマリン氏が神秘の島・マトゥア島(松輪島)に関する著作2巻を著した。クリル諸島中部の小さなこの島は、活発なサリチェフ火山を除けば平凡な島である。1875年にサンクトぺテル条約(千島樺太交換条約)でクリル諸島を受け取った日本…

スターリンはなぜ北海道占領計画を放棄したのか?

スプートニク2020/9/3 今年4月、ロシアのプーチン大統領は9月3日を「第2次世界大戦終結の日」とする法案に署名した。日本の降伏文書が調印されたのは1945年9月2日。同年、ソ連では9月3日を「対日戦勝記念日」と定めて祝日とすることが正式に承認された。一方…

9月2日 日本が降伏文書に署名 太平洋における第二次大戦終結

1945年9月2日、日本の無条件降伏の調印式が行われた。歴史的なイベントは東京湾に停泊するアメリカの戦艦ミズーリで行われた。戦争に負けた国を代表して重光外相と梅津参謀総長が署名した。セレモニーには多数のジャーナリストが招待され、日本と戦ったほと…

サハリンの歴史家サマリン氏が「マトゥワ島の歴史」を出版

サハリンの歴史家イーゴリ・サマリン氏が「マトゥワ島の歴史」と題した2巻の作品を発表した。ユジノサハリンスクのポベダ博物館の科学部長を務めるサマリン氏は、15年ほど前からマトゥワ島(松輪島)に関する資料収集を開始。2016年から2017年にかけて、ロシア…

ロシア国防省 クリル上陸作戦などの機密文書公開 第二次大戦終結75周年で

ロシア国防省は第二次大戦の終結75周年に合わせて、極東における第二次大戦終盤の軍関係文書の機密解除を行い、同省のウエブサイトで公開した。文書は「満州戦略」「南サハリン攻撃」「クリル諸島上陸(※占守島の戦闘関係)」の3つの主要な作戦に関する戦闘経…

1945年9月1日 色丹島に赤旗が翻った日

1945年11月30日の北海道新聞に「色丹村長の梅原衛氏は、27日朝根室にひょっこり姿を現した。ソ連軍の許可を得て島の生産物販売の使命を帯びて来た」という記事が出た。 村長は75年前の9月1日朝、斜古丹湾に面した役場前の橋から、ソ連軍上陸を見届けた。3隻…

強制退去の島民 極寒の樺太 過酷な抑留生活を耐え

戦後75年 領土の記憶(5) 極寒の樺太 過酷な抑留生活を耐え 産経新聞2020.9.1 北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)を不法占拠したソ連は昭和22(1947)年夏から23年秋にかけ、それぞれ島に残った島民たちを強制的に退去させた。ただ、島…

9月1日 ソ連上陸用舟艇がフルカマップ湾に上陸 日本軍の将兵469人を捕虜にした

1945年9月1日--。この日、クリル諸島上陸作戦史上、極めて重要な出来事があった。早朝、ソ連軍の2隻の上陸用舟艇が40分ほどの時間差で国後島フルカマップ湾(現ユジノクリリスキー湾)の沖合に姿を現した。現在のユジノクリリスク市のすぐ近くである。最初の上…

8月31日 得撫島の日本軍が降伏文書に署名 クリル諸島北部がソ連占領下に

1945年8月31日、カムチャツカ時間の正午(日本時間午前10時)、カムチャツカ防衛区軍司令官グネチコ少将とウルップ島(得撫島)の日本軍第129独立混成旅団の旅団長・仁保進少将が会見。ウルップ島の日本軍は降伏文書に署名した。これによって、カムチャツカ防衛…

樺太経由の強制退去「最悪なんてもんじゃない。地獄だった」

戦後75年 領土の記憶(4) 島民を家畜扱い 地獄の強制送還 産経新聞2020.8.31 「日本へ帰れ。残るならソ連人になれ」。色丹(しこたん)島色丹村で暮らしていた得能(とくのう)宏さん(86)の一家は昭和22(1947)年9月下旬、ソ連側から突然、そう通…

極東第2戦線によるクリル諸島占領作戦は完了した

1945年8月30日、この日の重要な出来事は、第2極東戦線からモスクワへの「クリル諸島を占領するための前線部隊の作戦は完了した」という報告だった。カムチャツカ防衛区軍のラドゥハノフ少佐が指揮する偵察部隊はウルップ島(得撫島)の北部、カストリクム岬に…

ソ連軍の圧政 家を奪われ、科された強制労働

戦75年 領土の記憶(3) ソ連軍の圧政 家を奪われ、科された強制労働 産経新聞2020.8.30 北方四島(択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島)を次々と監視下に置いたソ連は昭和21(1946)年2月、自国憲法を…

8月29日 択捉島武装解除 日本兵のあまりの多さにソ連軍は疲弊した

1945年8月29日。前日、クリル諸島南部の択捉島に上陸したブルンシティン海軍中佐が指揮するソ連軍は日本軍を武装解除し、捕虜にする作業を続けた。日本軍は抵抗しなかった。択捉島から太平洋艦隊の基地があるソヴェツカヤ・ガヴァニに送信された無電の中で、…

「脱出すべきか、とどまるべきか」四島の不法占拠拡大「日本固有の領土。その足跡を証拠づける」

産経新聞2020年8月28日 「領土の記憶(2)」 脱出すべきか、とどまるべきか 四島の不法占拠拡大 「島民各位に告ぐ」という一通の文書がある。 《領土関係は未(いま)だ正式決定を見ず 従って壮者(そうしゃ)は出来得(できう)る限り現地に踏止(ふみとど)…

突然の侵攻「8月28日、ソ連軍に占拠された」「屋内ニ侵入金品ヲ掠奪スルコト平然」

産経新聞2020年8月27日 戦後75年 領土の記憶(1) 突然の侵攻「8月28日、ソ連軍に占拠された」 北方領土がソ連(現ロシア)に不法占拠されて8月28日で75年になる。1855年の日魯(にちろ)通好条約で日本領と定められた択捉(えとろふ)、国後(く…

8月28日 空挺部隊は悪天候のため、択捉島の天寧飛行場を見つけられなかった

大陸側にあるソヴェツカヤ・ガヴァニのポストバヤ湾から、択捉島を占領するため空挺部隊が2機の水陸両用航空機「カタリナ」で飛び立った。(※スラヴィンスキーの「千島占領1945年夏」では26日) 2機は択捉島の戦略施設である天寧飛行場(現ペトレル)を占領する…

1945年8月28日12:00 ソ連軍、択捉島・留別浜に上陸

8月28日13:15(日本時間11:15) 掃海艇2隻T-589、T590が択捉島の留別湾に入港(海岸1.5kmに停泊)した。掃海艇偵察部隊が搭載ボートで上陸し、20分後日本軍の自走艀を確保して運び込んだ。掃海艇T-589(113狙撃旅団第3大隊第1中隊176名、指揮オフチンニコフ…

8月27日 松輪島を武装解除し、カムチャツカ軍がウルップ島へ進軍

1945年8月27日、クリル諸島上陸部隊の主力はマトゥア島(松輪島)に到着、日本兵を武装解除した。この日、カムチャツカ防衛区軍司令官のグネチコ少将は第2極東戦線の司令部から、カムチャツカ防衛区軍の戦闘ゾーンをウルップ島(得撫島)にまで拡大するよう命令…

8月26日 クリル諸島で武装解除続く、大泊から択捉島上陸・占領部隊が出撃

1945年8月26日、クリル諸島の占領作戦が続いていた。ボロノフ大佐指揮下の偵察部隊がシムシール島(新知島)に上陸。この大きな島は無人だったが、ソ連軍は日本軍の残党を発見し、要塞や兵舎、倉庫に火をつけ破壊した。同じ日、グネチコ少将指揮下の上陸部隊は…

8月25日 ソ連軍南サハリン占領、北方四島への上陸作戦を準備

1945年8月25日、ペトロパブロフスク海軍基地とカムチャツカ防衛区の部隊による北クリル占領作戦は続いていた。デニーソフ海軍少佐が指揮する第1偵察部隊は温禰古丹島(現オネコタン島)、捨子古丹島(現シアシュコタン島)に上陸し、日本軍を武装解除した。ボロ…

8月24日 ソ連軍、北クリルのパラムシル島を解放、さらに南下

1945年8月24日、ペトロパブロフスク海軍基地とカムチャツカ防衛区軍の部隊は北クリルのパラムシル島とその南に位置する島々の日本軍の武装解除を開始した。カムチャツカから198狙撃連隊がパラムシル島に追加派遣された。ロパトカ岬に駐屯していた第7独立狙撃…

8月21日 占守島の日本軍を武装解除 南樺太では北海道上陸作戦の準備が進められた

https://skr.su/uploaded/15/73/27/1e8c63f806d4384ac391a8f4bd.mp4 1945年8月21日、占守島の日本軍は札幌の第5方面司令部から敵対行為をやめ武器を置くよう命じられた。同じ日、ソ連軍第2極東軍はスターリンから、占守島の戦闘を2~3日延期する許可をとった…

8月20日 ソ連軍、樺太・真岡に上陸 占守島では戦闘続く

https://skr.su/uploaded/d7/06/9e/c3d2e5228aa256fe754fc0291a.mp4 8月20日の朝、占守島の片岡基地(現バイコヴァ)に向かった地雷敷設艦オホーツク、警備艦キーロフおよび数隻の掃海艇は第2クリル海峡(占守島と幌筵島の間)に入ったところで、日本軍の攻撃を…

1945年8月18日 ソ連軍、占守島に上陸 165・171高地を奪取

8月18日未明、カムチャツカ防衛区軍とペトロパブロフスク海軍基地からなるソ連軍は占守島北東海岸に上陸したが、計画通りにはいかなかった。ピョートル・シャトフ率いる先遣隊に続き、第1、第2梯団が国端崎と竹田岬の間の5kmの狭いビーチに上陸した。先遣隊…

クリル上陸作戦開始 アメリカから貸与された上陸用舟艇など54隻が占守島へ出撃

「50度線からのリポート」--1945年8月17日。この日はソビエト軍にとって重要な出来事があった。カムチャツカのアバチャ湾からクリル諸島上陸部隊が出撃し、サハリンでは第179ライフル連隊が50度線に近い古屯駅一帯(ポペジーノ)を占領した。同日午前7時15分、…

8月15日、天皇はポツダム宣言の受諾の意思を表明 ソ連軍指導部は千島列島への上陸作戦準備を命令

https://skr.su/uploaded/2e/a7/23/406ce408365ea5e9ee7db3d392.mp4 サハリン・クリル通信の「50度線からのリポート」(75年前にサハリンとクリル諸島を日本軍国主義者から解放し、第二次大戦を終わらせた一連の戦いを過去の日時と連動させて紹介するプロジェ…