北方領土遺産
北方領土問題対策協会(北対協、東京)が、北方四島の元島民らから寄贈された、かつて島で使われた日用品などの公開に力を入れている。同協会のホームページ上での公開に加え、今年から各地で展示会を開き、今後は利用者が閲覧しやすいように資料のデータベ…
ソ連による占領からちょうど1年後、千島・南樺太で発行されていた邦字新聞「新生命」1946年9月3日付紙面に「平和甦る千島 経済、文化生活逐日(ちくじつ)繁栄」と題した記事が掲載されていた。添えられた写真には、択捉島・紗万部にあった缶詰工場に鱒を水揚…
国後島の泊村の要覧(昭和12年版)に興味深い記述がある。村の「名所旧跡」として「松泉寺」が取り上げられている。「泊市街地東通(泊市街地東端高丘)にあり。境内に寛政元年国後騒乱の際夷人の為斃れたる松前藩足軽竹田勘平(当時国後会所の支配)の墓あり。(文…
「これはソ健軍の北方領土侵攻を根室側に伝えた電信線の中継施設。実は歴史的建造物なんです」。戦前に北方領土国後島と根室側を結んだ通信用海底ケーブルの中継施設「陸揚庫」。この古びた建物の前で8月末、根室市職員の荒井徹さん(49)がこう説明した。(北…
根室管内の児童生徒が北方領土について学ぶ「北方少年少女塾」の一環で、根室市光洋中学校の1年生2クラスの生徒68人と引率教師6人が27日、根室国後間海底電信線陸揚庫を見学に訪れました。一度に70人を超える見学者が陸揚庫にやって来たのは初めてです。中に…
古びた姿が領土返還を待ち続ける根室の北方領土元島民のようにも見えるとして、「もの言わぬ語り部」と言われ始めた「根室国後間海底電信線陸揚施設(陸揚庫)」。この建物の周りに8月、縦横約50センチの計8枚のガラス板が取り付けられた。(北海道新聞2023/9/2…
根室市は24日、終戦まで北方領土・国後島と根室を結んだ電信用の海底ケーブルの中継施設「陸揚庫」の歴史的価値を解説する市民向け説明会を市内で開いた。講師を務めた市の谷内紀夫北方領土対策専門員は、参加した市民17人に「陸揚庫は本土側に残る北方…
根室市の中心部から西に2キロ。根室海峡を挟んで国後島を望むハッタラ浜に、鉄筋コンクリート平屋の小さな建物がたたずむ。波際からわずか10メートルに立ち、風雪で外壁が朽ち、雨よけのひさしも所々崩れている。 戦前、国後島と根室を結んだ電信用海底ケ…
根室市の中心部から西に2キロ。根室海峡を挟んで国後島を望むハッタラ浜に、鉄筋コンクリート平屋の小さな建物がたたずむ。波際からわずか10メートルに立ち、風雪で外壁が朽ち、雨よけのひさしも所々崩れている。 戦前、国後島と根室を結んだ電信用海底ケ…
令和3年10月、北方領土関連施設として初めて、国の登録有形文化財に登録がされた『根室国後間海底電信線陸揚施設(通称:陸揚庫)』の歴史的意義や保存と活用に向けた取り組みについて学ぶ「市政ウオッチングねむろ」が9月24日(日)に開催されます。陸揚庫は…
この写真は1946年に択捉島・留別で撮られたものだ。ソ連人カメラマンが撮影したネガを基に2015年にサハリンで出版された写真集「千の島を巡る1946年のクリル探検」に掲載されている。撮影日が分かっている。ソ連軍の侵攻からほぼ1年後の1946年9月3日。日本人…
色丹島での墓参の様子(2013年) 軍国主義日本に対する戦勝記念日であり、第二次世界大戦終結の日――。ロシアは今年7月、一方的に9月3日を「対日戦勝記念日」と制定した。ウクライナ戦争をきっかけに、関係が悪化している日本を牽制する動きとみられる。第二…
【根室】旧ソ連軍が1945年8月に北方四島に侵攻を開始して78年が経過する中、侵攻後の四島の様子を伝える道の文書集「千島及離島ソ連軍進駐状況綴(進駐綴)」の価値が改めて関係者に注目されている。書籍として出版を監修した京都外国語大の黒岩幸子…
旧ソ連軍が1945年8月に北方四島へ侵攻を開始してから、28日で78年。記憶の風化が進む中、侵攻後の四島の様子を伝える道の文書集「千島及離島ソ連軍進駐状況綴(進駐綴)」の価値が改めて関係者に注目されている。島の首長らが根室支庁(現根室振興…
テレグラムチャンネル「サハリンの漁師」に択捉島カンシェルブネイ湾(紗万部)の写真が共有された。「かつて日本人がここに住んでいて、そう、缶詰工場があったことが名前の由来だそうです。石垣は現在の事業者によって部分的に修復されていますが、純日本製…
北方領土問題に対する正しい知識を身に着け、理解を深めてもらうおうと、根室管内1市4町でつくる北方領土隣接地域振興対策根室管内市町連絡協議会が管内の小・中学生を対象に実施している「北方少年少女塾」--。今年度初めて根室国後間海底電信陸揚施設(通称…
【中標津】終戦まで北方領土・国後島と根室を結んだ電信用の海底ケーブルの中継施設「陸揚庫(りくあげこ)」の歴史的価値などを解説する講演会が6月29日、町総合文化会館で開かれた。講師を務めた根室市の谷内紀夫北方領土対策専門員=国後島元島民2世…
この2枚の写真は、1900年(明治33)に根室と国後島の間に敷設された海底電信線の国後島側にある陸揚庫のものだ。それぞれ撮影日が記載されているが、誰がどのような状況で撮影したものなのかは不明だった。 灯台下暗し。根室市が昭和46年12月に発行した「北方…
6月29日夜、中標津町総合文化会館で開かれた第17期「ナカシベツ大学」(中標津町文化スポーツ振興財団主催)の今年度最初の講座で「根室国後間海底電信線陸揚施設(通称・陸揚庫)の価値と保存・活用の取り組み」についてお話しさせていただきました。冒頭、陸揚…
生涯学習推進の一環として中標津町文化スポーツ振興財団が主催する第17期「ナカシベツ大学」の本年度最初の講座として6月29日、「国登録有形文化財『陸揚庫』の価値と保存・活用の取り組み」について講義します。場所は中標津町総合文化会館「しるべっと」コ…
択捉島の社会政治新聞「クラスヌイ・マヤーク(赤い灯台)」とクリル郷土博物館の共同プロジェクト「博物館の秘密:展示の歴史」から、今日は鐘についてのお話。郷土博物館には2つの鐘が展示されている。これらは別々に博物館に収蔵され、外見は似ているが、異…
【羅臼】根室管内羅臼町は、北方領土の元島民の「語り部」の活動を記録したDVDを制作した。語り部の姿を映像で残す同町初の取り組み。語り部で町内最高齢の高岡唯一(ただいち)さん(87)のインタビューと語り部活動の様子を約50分間の映像に収めた…
釧路新聞のコラム「番茶の味」で北海道博物館の右代学芸員の連載が始まりました。右代学芸員には、根室国後間海底電信線陸揚庫の保存と活用を考える分科会の委員を務めていただきました。
終戦直後まで北方領土の国後島と根室市をつないでいた海底ケーブルの中継施設、通称「陸揚庫」を広く知ってもらおうと、根室市がPR動画を制作しました。「陸揚庫」は昭和4年に建てられた鉄筋コンクリート造りの建物で、対岸の国後島までを結ぶ海底通信ケ…
「30 もの言わぬ語り部」--根室市が制作した国登録有形文化財「根室国後間海底電信線陸揚施設(通称・陸揚庫)」の啓発用パネル全30枚を紹介します。
「29 陸揚庫の保存と活用に向けた取り組み」--根室市が制作した国登録有形文化財「根室国後間海底電信線陸揚施設(通称・陸揚庫)」の啓発用パネル全30枚を紹介します。
「28 同年代に建てられた道内の陸揚庫」--根室市が制作した国登録有形文化財「根室国後間海底電信線陸揚施設(通称・陸揚庫)」の啓発用パネル全30枚を紹介します。
「27 現在も国後島は北海道の一部なのか」--根室市が制作した国登録有形文化財「根室国後間海底電信線陸揚施設(通称・陸揚庫)」の啓発用パネル全30枚を紹介します。
「26 ソ連軍が民家を荒らし、金品を強奪 女性に暴力を加える心配」--根室市が制作した国登録有形文化財「根室国後間海底電信線陸揚施設(通称・陸揚庫)」の啓発用パネル全30枚を紹介します。
「25 ソ連軍4000人上陸 国後はソ連領と言明」--根室市が制作した国登録有形文化財「根室国後間海底電信線陸揚施設(通称・陸揚庫)」の啓発用パネル全30枚を紹介します。