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北方領土の実態、把握に限界 元島民驚き「こんな大きな湖が」

 北方領土歯舞群島色丹島に大きな地形の変化が起きていた。より詳細な実態把握には現地調査が欠かせないが、ロシアが北方四島を実効支配する中では困難なのが実情だ。戦後、施政権が78年以上及んでいない日本の領土の変化は、衛星画像によって一定程度は把握できるようになったものの、限界も浮き彫りになっている。(北海道新聞デジタル2024/2/2)

歯舞群島多楽島の衛星画像。上はランドサット5(米国地質調査所)、下はセンチネル2(欧州宇宙機関など)撮影。いずれもグーグル・アース・エンジンより取得

 

 日本政府は大正時代の地形図を長らく全面更新できずにきた。「国土を示す地形図は国家の基本。北方領土の地形図がないのは、画竜点睛を欠く状態だった」。新たな北方領土の地形図が完成した2014年に国土地理院長を務めていた日本地図センターの稲葉和雄理事長(70)はそう語る。

■大正時代の地図、約90年使用

 国土地理院の地形図は、自治体のハザードマップや道路・河川管理などにも使われる社会の基盤だ。ただ、終戦後に旧ソ連に実効支配された四島については、1922年(大正11年)に作られた地形図が2010年代まで約90年間にわたって使われてきた。

㊤1922年に旧陸軍参謀本部が作成した多楽島の地形図(科学書院「千島列島地図集成」より)㊦2010年に国土地理院が作成した多楽島の地形図(同院「2・5万分1地形図」より)

 

 地形図の更新作業が始まったのは、衛星測量の技術が整った2009年。日本の地球観測衛星「だいち」が機能停止する11年までに撮影した写真を使い、14年に四島全域の地形図が完成した。地名や河川の名前は根室市や道庁に確認した上で、戦前の日本語名を使った。

 ただ、ほかの地域の地形図にある建物の名前や用途、道路の種別などは書き込めていない。「実効支配されているがゆえの異例さがあり、限界があった」。稲葉理事長はそう振り返る。

国土地理院の「地図と測量の科学館」で展示されている10万分の1の地図。北方領土の島々も描かれていた=茨城県つくば市

 

■日ロ関係改善、報道発表せず

 四島の地形図更新がこれまで広く知られていないのには理由がある。国土地理院は14年に四島の地形図が完成した際、報道各社への発表をしなかった。

 その経緯を知る関係者は「安倍晋三首相(当時)とロシアのプーチン大統領が接近し、日ロ関係が改善していた時期だった。(地形図更新の発表で)ロシアを刺激したくないとの思いがあった」と、外務省など政府内部の調整を踏まえた結果だったと明かす。

㊤1922年に旧陸軍参謀本部が作成した色丹島南西部の地形図(科学書院「千島列島地図集成」より)㊦2010年に国土地理院が作成した色丹島南西部の地形図(同院「2・5万分1地形図」より)

 

 北方領土の地形図は全面更新から10年がたつが、さらなる更新は難しい。

■必要な情報・衛星なし

 国土地理院によると、国内で大きな建物や鉄道、高速道路などが完成した場合は自治体などから情報提供を受け、速やかに地形図を修正する。ただ、施政権が及ばない北方領土の場合は、そうした情報はない。

 国土地理院の地形図は自国の測量を基に作成しており、10年前の更新時に使用した衛星「だいち」は運用が終了。後継の「だいち3号」は昨年、打ち上げに失敗し、新たな衛星画像も入手できない。

 同院国土基本情報課の水田良幸課長は「四島については情報が圧倒的に足りていない。現状をリアルタイムで捉えるのは非常に難しく、現状では打つ手がない」と話した。(津田祐慈、武藤里美)

■元島民ら驚き「知らなかった」

 北方領土へのビザなし渡航の参加者の間では、これまでも砂浜の減少や、海岸線の後退が語られていた。衛星画像を通して北方領土で大規模な地形の変化が明らかになり、元島民には驚きも広がる。

 「こんなに大きな湖ができていたとは」。衛星画像を見た歯舞群島多楽島出身の河田弘登志さん(89)=根室市在住=は、そう語った。湖のような水面が確認された場所は、河田さんが同島に住んでいた1945年以前は湿地だったという。河田さんは95年から2014年までにビザなし渡航で計7回、多楽島に渡ったが、時間の制限で十分に島内を巡れず、大きな水面には気づかなかった。

 ビザなし渡航では、砂浜が跡形もなく消え、高さ5メートルほどの崖の上にあった河田さんの生家の近くまで波打ち際が迫っていたのを見ていた。「多楽島は小さく、標高も低い。しまいには沈んでなくなってしまうのではないか」

多楽島の地形図を見ながら、同島で暮らしていた当時の様子を振り返る河田弘登志さん

 

 歯舞群島を行政区域とする根室市の石垣雅敏市長は取材に「北方領土でここまでの地形変化があるのは知らなかった」と話した。

■かつては人の手で砂浜維持

 同じく地形が大きく変化していた歯舞群島志発島出身の南保敏雄さん(89)=根室市在住=は、かつては人が手をかけて砂浜を保全していたと振り返る。冬になると流氷やしけで砂が流出してしまうため、砂浜をコンブの干場として使っていた漁師たちは春になると砂を運び込んでいた。

 南保さんは、大人たちが馬に荷台を引かせ、漁が始まる初夏までに何度も砂を運び入れていた様子を覚えている。

 南保さんは墓参や自由訪問で3回故郷に渡ったが、ロシア人は住んでおらず、砂浜は消え、荒れたままになっていた。「日本人が住み続ける島のままだったら違っていただろうに」。南保さんは悔しそうに話した。(武藤里美)