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方法問わず返還へ進展を 国後島泊出身・伊藤新介さん(80)=別海町=<四島よ私たちの願い 日ロ交渉停止>39

 「生まれた場所の記憶がないので今の世代にうまく伝えられない。うそを言うのは嫌だから」。国後島泊出身の伊藤新介さん(80)が島から脱出したのは1945年(昭和20年)10月15日だった。当時2歳。霧のかかった晩に別海町尾岱沼に着き、母ふよさんの背中で「うちに帰ろう」と言ったことが最も古い記憶だ。(北海道新聞根室版2023/6/15)

 父の正幸さんは根室市から国後島に渡り、大工として身を立てた。尾岱沼でも大工を続け、56年に別海の市街地に転居。「おやじがしっかりした人だったから、周りは困っていたけれど、うちは困らなかった」

 ただ、明治生まれの父と新介さんは37歳差。仕事は継いだが、70年に亡くなるまで、島の話はほとんどしなかった。「年が離れていたし、昔かたぎだからおっかない。もう少し島のことを聞けば良かったと後悔しています」と打ち明ける。

 生まれて半世紀以上が過ぎた97年10月、ビザなし渡航で故郷を再訪した。1カ月後に、当時の橋本龍太郎首相とロシアのエリツィン大統領が、2000年までの平和条約締結を目指す「クラスノヤルスク合意」を実現したような時期で「向こうには温泉もあるから、『中標津空港から飛行機を使って観光の行き来を』みたいな構想まで現地の人と話した。あの時が最高に友好的でした」と振り返る。

 合意は果たされず、返還交渉は停滞。最近の国の姿勢について、「大臣が根室に来ても、われわれが東京に行っても進展はない。切羽詰まった気持ちが伝わってこない」と悔しがる。「ウクライナ問題もあるが、同じ人間同士。どんな方法でもいい、交渉に向けて動いてほしい」と強調する。

 その後、島を訪れる機会はなかったが、21年10月、千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)別海町支部が独自で行った洋上慰霊に参加。父の前妻と、新介さんが生まれる前に亡くなった兄が眠る島に手を合わせた。「墓は見たことがなく、場所も分からないが、お参りさせてもらっている。今年もできれば慰霊に参加したい」(小野田伝治郎)