北方領土の話題と最新事情

北方領土の今を伝えるニュースや島の最新事情などを紹介しています。

遺体引き渡しに4カ月<記録 記憶 知床・観光船事故1年>⑰

ロシア側から遺体を引き取り、サハリン州南部のコルサコフ港を出港した巡視船「つがる」=2022年9月9日

 昨年6月23日、北方領土国後島西岸で前月相次いで見つかった男女の遺体のDNA型が、沈没した小型観光船カズワンの甲板員の男性=当時(27)、東京都調布市=と乗客の女性=同(21)、北見市=のものと一致したと、ロシア側から外交ルートを通じて日本側に連絡が入った。

 その情報は当日中にそれぞれの家族にも伝えられたが、日本外務省関係者は不安げに漏らした。

 「できるだけ早く遺体を引き取りたいが、時期や方法を含めて具体的に言える状況にはない」

 北方四島を日本人が訪れるには、ロシア領だと認めた形にならないよう「ビザなし交流」の枠組みが必要になる。

 だが、ロシアはウクライナ侵攻に制裁を科した日本に反発し、枠組みを3月に凍結し、四島への訪問は事実上困難になっていた。

■日本に楽観論

 四島へのロシアの管轄権を認めない形でいかに遺体を引き取るか―。ロシア側との協議は難航した。

 海上保安庁はロシア国境警備局との間で、国際条約に基づき、海難救助で協力する協定を結んでいる。カズワン事故でも四島周辺の捜索について同局の協力が得られていた。

 こうした土台を背景に、日本政府内では国後島で遺体が見つかる前の早い段階から、見つかった場合は四島と北海道本島との間の中間ラインの洋上で、ロシア国境警備局から海保の船に引き渡してもらう案が有力視されていた。

 2005年に歯舞群島志発島で見つかった日本人女性の遺体がロシア側から洋上で引き渡された前例もあり、日本側にはカズワンの事故でも「遺体が見つかれば、支障なく引き渡してくれる」と楽観論があった。

 だが、実際に遺体が見つかってDNA型の鑑定が始まり、引き渡しが現実の課題となってくると事情は違った。

 ロシア国境警備局は6月上旬、「救難協定には、遺体の引き渡しについて書かれていない」とし、中間ラインでの引き渡しはできないと文書で通告してきた。これと並行してロシア側が強く求めてきたのは、日本の船舶が国後島に寄港し、遺体を引き取る案だった。

 日本政府関係者によると、ロシア側は水面下の協議で「国後島のユジノクリーリスク(古釜布)港は自由港だ。いつでも寄港できる」と主張していた。

 ただ、裏を返せば「ロシアの管轄権に服して日本の船舶を派遣させる」(日本外交筋)ということと同義で、日本側が容易にのめる案ではなかった。

 日本外務省は、05年に遺体が引き渡された歯舞での先例を持ち出し、中間ラインでの引き渡しにこだわり続けた。

■人道面は配慮

 ロシア側は協議の過程で、遺体を火葬してから引き渡すと提案しながら、日本側が「家族が望んでいない」と伝えると、すんなり引き下がるなど人道面には一定の配慮も見えた。

 ただ「日本に押し込まれた格好に見えることをすごく気にしていた」(日本側交渉筋)といい、島の主権が絡む問題で譲る姿勢は一切見せなかった。

 交渉が平行線をたどる中、6月28日にはサハリン州南部コルサコフ近郊の沿岸で日本人とみられる男性の遺体が見つかり、当日中にロシア側から日本側に連絡があった。

 7月中旬、ロシア側は中間ラインでの引き渡しを拒否すると正式に伝達してきた。

 これに対し、日本側は《1》ビザなし交流と同様の特別な形で海保の船舶が国後島に寄港し、遺体を引き取る《2》国後島から遺体をコルサコフに運び、海保の船舶で引き取りに行く《3》ロシアの民間船で国後島から北海道本島まで移送する―の3案を提示した。

 ロシア側から非公式に回答があったのは7月25日、日本案にあったコルサコフ港での引き渡しを検討する内容だった。コルサコフ近郊で見つかった遺体のDNA型がカズワン乗客だった男性=当時(59)、江別市=のものと一致したと日本側に伝えた6日後だった。

 ロシア側が歩み寄ったのは、遺体を保管し続けている地元行政府から早期搬出を求める声が強まっていたことに加え、北方領土の主権問題で日本に譲歩した形にならない案だったためとみられる。

■「家族の元に」

 夏休み期間を迎え、準備にはなお時間を要したが、ロシア側は8月23日、コルサコフ案を受諾すると日本側に正式に伝達してきた。

 国後島から2遺体を乗せた貨客船がコルサコフに到着したのは9月8日。遺体を納めた木製のひつぎは亜鉛製の容器で密閉処理が施されていた。

 翌9日午前、男女3人の遺体を引き取りに向かった第1管区海上保安本部(小樽)の巡視船「つがる」はコルサコフ港のすぐ外で、ロシアの国境警備艇と合流した。警備艇には「歓迎」を意味する国際信号旗が掲げられていた。

 3人分の遺体を引き渡したロシア外務省関係者は、つがるの船長に「家族の元に届けてください」と言葉をかけた。つがるは見送りに感謝する意味を込めた低音の汽笛を鳴らし、小樽港に向け出港した。

 「引き渡し当日はスムーズだった」。外務省関係者は胸をなで下ろしたが、国後島での1人目の遺体発見から4カ月が過ぎていた。(北海道新聞2023/5/12)