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捜索 日ロの協力手探り 調整に10日間<記録 記憶 知床・観光船事故1年>⑯

 北方領土国後島中部の西岸。戦前に二木城(にきしょろ)湖と呼ばれたラグンノエ湖の約8キロ北側は、小石を敷き詰めたような海岸が続く。晴れた日には海を隔てて約40キロ西側に知床連山を望む。

 1年前の5月6日、自然保護官としてフクロウの巣を探していたドミトリー・ソコフさん(55)は、普段は人がほとんど近づくことがないその海岸を通りかかり、しばらく心臓の鼓動が止まらなくなった。ジーンズ姿の女性がうつぶせで倒れていたのだ。遺体を見たのは初めてだった。

 ソコフさんは地元のニュースで、約2週間前の4月23日に起きた小型観光船カズワンの事故を知っていた。「もしかしたら乗客かもしれない」。つらい気持ちになりながら、島中部の東岸のユジノクリーリスク(古釜布)の警察に通報した。

 「家族の元に返さなくては」。ソコフさんは翌日以降も独力で捜索を続け、5月18日、さらに北に約3キロ離れた海岸沿いで男性の遺体も発見した。

■「ライン」越え

 知床半島周辺は、カズワンが沈没した西側から知床岬をへて北方四島に向かう海流がある。捜索関係者の間では当初から、乗客乗員が四島周辺に流れ着く可能性がささやかれていた。

 日本外務省内ではこんな声が出ていた。

 「四島に流れ着けば、厄介なことになるかもしれない」

 日ロ関係は当時、昨年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻を受け、急激に悪化していた。日本政府は事故の約2週間前に在日ロシア大使館の外交官ら8人を国外追放し、ロシアは対抗措置を予告していた。

 日ロ間には、海上での捜索と救助に関する国際条約(SAR条約)に基づき、海上保安庁とロシア国境警備局の協力を定めた協定がある。ロシアが実効支配する四島と、北海道本島との間の中間ラインを越えて捜索するには、協定に基づきロシア側と調整する必要があった。

 事故翌日の4月24日深夜、知床岬の東14.5キロの海上で乗客の女児が見つかった。海保にとっては、いよいよ中間ラインを越えての捜索が課題となっていた。

 海保は翌25日、協定に基づき、四島周辺での捜索に協力を求める通知をロシア側に送った。

 だが、第1管区海上保安本部(小樽)はその後しばらく、記者会見で中間ラインを越えての捜索について問われても、「調整中」と繰り返した。

 調整には10日間を要し、1管本部は5月5日、ようやく「国後島周辺海域の捜索を始めた」と発表した。

 一方、ロシア国境警備局は通知翌日の4月26日、四島周辺で独自の捜索を始め、27日には国後島西方の海域で漂流者を見つけた。荒天で引き上げられず、行方は分からなくなったが、翌28日にはその事実をファクスで海保側に伝えてきた。日本人名義の銀行カードが入ったリュックサックを回収したとも記されていた。

 「ロシア側はやりとりにちゃんと応じている」。外務省幹部はロシア側の協力姿勢に胸をなで下ろした。

 だが、回収されたリュックサックの引き渡しも時間がかかった。四島を事実上管轄するサハリン州の州都ユジノサハリンスクの日本総領事館に引き渡されたのは発見の3週間後の5月18日だった。「遺失物」として日本に引き渡すためのロシア側の国内手続きに時間を要したとみられる。

 ウクライナ侵攻も影を落とした。日本政府がロシアとの国際線の運航を休止したため、リュックはいったんモスクワに運び、中東を経由して日本に持ち帰るルートを強いられた。

 ソコフさんが発見した2人の遺体の扱いも難問だった。

 ロシア側は国後島で失踪届けが出ていないとして、早い段階から日本人の可能性が高いと日本側に説明していた。ただ、遺体の引き渡しにはDNA型鑑定が必要だとして、5月半ば、遺伝子データの提供を日本側に求めてきた。

 男性の遺体は近くにあった運転免許証から甲板員、女性の遺体は行方不明だった乗客3人のいずれかとみられていた。

 鑑定する場合はこの4人が対象となるが、行方不明者本人の遺伝子データを収集できる毛髪などの試料を見つけるのは容易ではなく、得られない場合は家族のデータが必要だった。

■鑑定作業難航

 日本側も鑑定の必要性は認識していた。だが、政府内には「生きた人間の遺伝子データは究極の個人情報だ」として、家族のデータをロシア側に提供することには強い反対論があった。

 打開策として、ロシア側から遺体の遺伝子データをもらい、日本側で鑑定する案も浮上したが、実現しなかった。ロシア側の理解が得られなかったとみられる。

 最終的には時間をかけてでも行方不明者本人の毛髪などを探して遺伝子データを集めるしかなかった。ロシア側へのデータ送付は6月9日にずれ込んだ。

 ロシア側が、2人の遺体のDNA型が乗員乗客と一致したと日本側に連絡したのは、事故発生からちょうど2カ月目の6月23日だった。手探りの日ロ協力は一つの山を越えたが、水面下では遺体の引き渡しに向け、両政府間のせめぎ合いが本格化していた。(北海道新聞2023/5/11 知床・観光船事故取材班)