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遥かなる択捉島、また土を踏みたい 少女時代の景色は跡形がなくても 元島民は語る 1世がみた北方領土 第3回

 桜が咲くのは6月。8月上旬になるとハマナスの群生が満開になり、村は「バラの香り」に包まれる。秋は、おびただしい数のサケが遡上(そじょう)し、まるで川が煮えたぎったようだった。

 択捉(えとろふ)島の最北に位置する蘂取(しべとろ)村出身の鈴木咲子さん(85)=根室市=。10歳になる年までを過ごした島での日常の記憶は、驚くほど鮮明だ。

1945年、ソ連は日ソ中立条約を無視して北方四島に侵攻・占領。ロシアとなった現在でも不法占拠が続いている。元島民は高齢化が進み、約7割が亡くなっている。記憶を後世に伝えるため、当事者たちを訪ねた。

 蘂取村の居住者は、1945年の終戦時点で89世帯349人。役場や消防、郵便局に駐在所、国民学校、公会堂、病院、寺、神社……。小さいながらも、漁業などが盛んな豊かな村だった。

 「村には雑貨屋さんが一軒あるだけ。でも、東京の高島屋とか三越のカタログが送られてきて、色々なモノが手に入ったんです。だから、服装は割と、はやりものを着ていたんじゃないかなと思います」

振り袖でじいやんに弁当を届けた

 島の豊かさを象徴するようなエピソードがある。毎年7月15日の神社のお祭りだ。

 戦時中だったにもかかわらず、村の女の子たちはみんな、振り袖を着せてもらっていた。もちろん、鈴木さんもその一人。カタログで取り寄せた反物で、母が仕立ててくれたという。

 神社のお祭りで祖父の「じいやん」が当番を務める日。振り袖で、村外れの神社までお弁当を届けに行くのが楽しみだった。

 鈴のついた「ぽっくり」をはき、母と手をつないで歩く。はき慣れていないので長い道のりに感じるけれど、心はルンルン。鈴の音も心地よい。

 「じいやん、お弁当だよ」

 「よく来たなぁ」

 到着したら、たわいもない会話をして、また家に帰る。

 「それだけのことなのに、前の日からうれしくて、うれしくて……。今でも目を閉じると、あの時の情景が浮かんできます」

ジャガイモは絶品、村芝居で歌舞伎

 ひもじい思いをした記憶もない。

 漁場は豊かで、魚は年中捕れ…(朝日新聞デジタル2024/2/10)

1945年撮影の蘂取村での写真=鈴木咲子さん提供