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択捉島・天寧飛行場を抑えに向かったソ連軍の水陸両用機 誤ってウルップ島沖に着水

1945 年 8 月 28 日、ソ連赤軍クリル諸島(千島列島)の占領を続けた。ウルップ島でソ連赤軍は数日間日本軍の大規模な守備隊を見つけることができなかった。択捉島では、空挺部隊が天寧飛行場(ペトレル)に着陸することが出来なかった。ウルップ島の部隊は上陸用舟艇「DS-6」1隻、警備艦「キーロフ」、輸送船「モスカリヴォ」、「レフジェラートル2号」で構成され、島の北部に接近した。グネチコ少将は掃海艇 第334 に乗って指揮していた。ソ連軍の計画によれば、上陸して1万3,000人の大規模な日本軍陣地を発見することになっていた。しかし、何日も敵を発見できないでいた。一方、択捉島占領を命じられたブルンシティン海軍中佐指揮下の掃海艇2 隻が大泊(コルサコフ)を出航した。2隻は留別湾(クイビシェフスキー)に入った。上陸部隊は日本軍の船を捕獲し、小規模な揚陸隊を海岸に移送した。同時に、択捉島占領のために、2機のカタリナ型水陸両用機(※ソ連の対日戦争を支援するため米国が「プロジェクト・ゼブラ」でソ連に貸与した航空機)がサハリンのポストバヤ湾の飛行場から離陸した。択捉島の天寧飛行場(ペトレル)に着陸し、空港を抑える計画だったが、悪天候(濃霧)と正確な地図を持っていなかったため、パイロットは天寧飛行場を見つけられず、間違ってウルップ島に飛んでしまった。2機のうち1機は座礁し離陸できなくなった。別の1機は燃料不足で大泊に戻った。(sakhonline2023/8/28)