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北方領土侵攻78年 故郷奪われた日、心に刻む 28日から洋上慰霊「生きているうちにもう一度墓前で」

 1945年(昭和20年)8月28日に、旧ソ連軍が北方四島に侵攻を開始してから78年。四島出身の元島民は、故郷が奪われた「あの日」を今も心に刻む。ロシアのウクライナ侵攻が長期化する中、中断が続く四島への墓参に代わり、28日から根室海峡の日ロ中間ライン付近で船上から洋上慰霊が行われるが、元島民は「生きているうちにもう一度島の土を踏みたい」と、島で慰霊する日を待ち望む。(北海道新聞2023/8月28)

 ソ連軍は択捉島に侵攻した後、9月1日には国後島色丹島に上陸。9月5日までに歯舞群島を含む北方四島を占領した。

 当時、小学5年生だった得能宏さん(89)=根室市=は9月1日、色丹島の斜古丹湾にソ連国旗が描かれた大きな船が入港した風景を忘れることができない。「登校中だったので、怖くなって弟を連れて学校へ向けて走った」と語る。

 その2年後に故郷を追われ、76年がたった。「もう一度古里の土を踏み、島に眠る祖父の墓前で供養をしたい」と願う。

 だが、ロシア側は日本の制裁に反発し、昨年9月に日本人が四島と往来するための、ビザなし交流と自由訪問の政府間合意を破棄。唯一残された墓参も再開のめどが立たない。

 28日の洋上慰霊は、ひ孫までの4世代9人で参加するが、日ロ中間ラインの手前の船上からでは、色丹島は目視はできない。島の方角に手を合わせた後、戦前と最近の島の風景を収めた写真を比べて見せるなどして、孫やひ孫に島への思いを伝えるつもりだ。

 願うのはあくまで島での墓参。「『生きているうちに、また来たからね』と墓前で報告できる日が来ると信じたい。古里への思いは生きるエネルギー。命尽きるまで、そのことを次の世代に伝えることが元島民にできることだ」と語る。

 78年前、歯舞群島への侵攻が始まった直後、多楽島出身の畑山英憲さん(82)=上川管内当麻町=は小銃を下げた2人のソ連兵が自宅に近づくのを目撃した。

 「隠れろ」。母の鋭い声に、4歳だった畑山さんは2歳年上の姉と一緒に玄関近くの便所に駆け込み息をひそめた。間もなくソ連兵が土足のまま茶の間に上がり込む気配がした。「本当におっかなくて、いつまで隠れていたか記憶が抜けているんです」

 洋上慰霊には初回の28日に参加する。畑山さんは故郷に行けないむなしさを感じながら、こう語る。「少しでも近くに行って、現地に眠る人たちに手を合わせたい。日本人が島に上陸できない時間が長くなって、先祖や同胞はみんな寂しい思いをしているだろうから」(川口大地、武藤里美)

ビザなし渡航で故郷の歯舞群島多楽島を訪れた際のアルバムを見返す畑山英憲さん