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択捉島 「シャナ」から「クリリスク」へ 「川の下流にある大きな集落」の歴史

今年はサハリン州創設75周年。今回は択捉島の歴史の中で重要な出来事を紹介する。択捉島のロシア人集落は、ロシア人探検家によって、先住民であるアイヌの集落があった場所に開かれた。ロシアの探検家が訪れた時、そこは「シャナ」と呼ばれていた。アイヌ語で「川の下流にある大きな村」という意味だ。1800年、宣戦布告なしに日本に占領されたが、7年後の5月18日、フヴォストフの指揮下するロシアの帆船「ジュノ」とダビドフが乗った「アボス」が択捉島の沖合に現れた。彼らは、「シャナ」にあった日本の駐屯地を攻撃した。そこは当時の日本の最大の入植地だった。戦いによって日本の商店や産業施設は略奪され、集落は焼かれた。1855年択捉島は下田条約のもとで日本に割譲された。そして1945年、再び赤軍によってソ連領になった。中心地は1947年まで「紗那」と呼ばれていたが、日本語の地名を排除するキャンペーンによって「クリリスク」と改名された。地方自治体としてのクリル地区は1946年6月5日に形成された。当時は、ハバロフスク地方に属する南サハリン州の一部だった。1947年1月2日、南サハリン州サハリン州に統合された。択捉島の市区町村は2005年1月1日に設置された。2012年まで「クリル管区」と呼ばれたが、その後は「クリル都市管区」に改名された。現在、管区内にはクリリスク市(紗那)、キトヴィ村(内岡)、ルイバキ村(有萌)、ブレベスニク村(天寧)、ゴルノエ村(天寧近くに開かれた軍の町)、ゴリャチエ・クリュチ村(瀬石温泉)、レイドヴォ村(別飛)の1市6村がある。人口は約6,700人。クリル都市管区には択捉島のほかにウルップ島(得撫島)、ブロウトナ島(武魯頓島)、チルポイ島(知理保似島)、ブラト・チルポエフ島(知理保似南島)、シムシル島(新知島)と周辺12カイリの領海内にあるすべての小島、岩礁が含まれる。択捉島は、日本との領土問題の対象になっている。近年、択捉島は観光地として注目されている。以前はロシア国内外から研究者が訪れていたが、今日では島々の自然の美しさ、異国情緒が観光客を魅了している。(サハリン・クリル通信2022/1/12)

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