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「政府はどこまで真剣か」色丹島出身・能登敏雄さん(79)=根室市<侵攻 今、地域は 四島よ~ウクライナ危機1年>特別編(1)

 2月7日の「北方領土の日」、根室市内で開かれた根室管内住民大会で、色丹島出身の能登敏雄さんは850人の参加者と一緒にシュプレヒコールを上げた。一般参加者を入れた大会は3年ぶり。叫びにも力が入った。(北海道新聞根室版2023/2/21)

 ただ、能登さんは会場の雰囲気の変化も感じた。「元島民が減った」。戦後78年にさしかかり、元島民が高齢化する中、ロシアのウクライナ侵攻により先行きの見えない北方領土問題への元島民の落胆が現れているように思えた。

 昨年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻で日ロ平和条約交渉は事実上の白紙になった。歯舞群島色丹島を日本に引き渡すと定めた日ソ共同宣言を基礎として交渉を加速させるとした2018年の日ロ首脳会談当時の熱気は、領土返還運動原点の地・根室からは失われている。

 能登さんはロシアのウクライナ侵攻直後、「長年続けてきた日ロの交渉が、ゼロに戻ってしまうのか」と感じた強い不安を今も忘れない。その不安が今、根室で元島民の落胆という形になって表面化している。

 能登さんは色丹島西部のノトロ出身。1945年(昭和20年)の終戦直後に始まった旧ソ連軍の侵攻を受け、1歳で島を脱出した。

 返還運動に力を入れるきっかけは、「生まれた所に一度行ってみたい」と参加した2000年の色丹島への自由訪問だった。島出身の先輩に頼まれた墓地の標柱を設置したり、島民らが国の外交や返還運動について熱っぽく議論する姿を見たりするうち、思いが高まった。「ここは先祖が開拓した島なのだ」と。

 19年に1364人の往来があったビザなし渡航も、ウクライナ侵攻後、再開の見通しが立たなくなっている。ロシア側は昨年3月にビザなし交流、自由訪問の停止を発表。日本側は4月、ロシア側が枠組みを残した墓参を含め事業全体の見送りを決めた。

 能登さんは、日本政府の対応にも疑問を抱く。「ロシア側が墓参を維持しているのは、完全に関係を断つつもりはないという意思表示のはず。なぜ日本側は交渉もせず実施を諦めたのか」と問いかける。

 根室市内の元島民の数は年約50人のペースで減り続け、昨年3月末時点で915人。「もう一度島に足を踏み入れたい」と切望する元島民は多いが、政治家から希望を抱くことができる発言を聞くことはない。

 道と千島歯舞諸島居住者連盟は昨年7~8月、根室海峡の日ロ中間ライン手前を船で巡る「洋上慰霊」を実施。ただ、能登さんは参加を見送った。「納沙布岬から見える風景と変わらない。目と鼻の先まで行くのに島に届かないのは寂しいから」とつぶやく。

 今月7日の「北方領土の日」、返還要求の全国大会では岸田文雄首相が「(墓参などの事業が)一日も早く再開できるような状況になることを強く期待しています」と語った。主体性を欠くとも受け取れるあいさつに肩を落とす元島民も少なくない。東京で12月に行われた「北方領土返還要求中央アピール行動」では、恒例の首相と参加者の面会が当初設定されなかった。

 能登さんは、元島民たちは政治家に「領土交渉には世論の後押しが必要で、返還運動は重要です」と言われてきたと話す。「私たちは今まで運動を続けてきたが、政治家も役人もどこまで領土問題に真剣に取り組んでいるのか」と憤る。

 それでも、能登さんは返還運動を続ける。「今声を上げなければ、本当に北方領土を諦めたことになってしまう。先輩たちから引き継いできた返還運動は、島が返るまで絶やすわけにはいかない」(武藤里美)

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 ロシアのウクライナ侵攻から24日で1年。「力による現状変更」の試みは地域にも大きな影響を及ぼしている。隣国ロシアにどう向き合っていけばいいのか。悩み、立ち向かう人たちの姿を、根室から報告する。