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「四極」陸揚庫会議 長崎・国際海底電線小ヶ倉陸揚庫(復元)

名 称 国際海底電線小ヶ倉陸揚庫

所在地 長崎市小ヶ倉町3-76-44

所有者 長崎県

    間口約12.5m 奥行約4.6 高さ約4.5m

面 積 57.52㎡

建築年 1871年(明治4)

    ※長崎外港整備計画で解体され、旧地に近い場所に復元再築された

設置者 大北電信会社(デンマーク国)

構 造 煉瓦造(こんにゃくレンガ)・石造の瓦ぶき平屋建て

指 定 県指定史跡1972年(昭和47)

海底線 

デンマーク大北電信会社が1871年(明治4)に長崎--上海間(約800km)、長崎--ウラジオストク間(約1200km)に海底電信線を敷設し、これによって日本は世界の電信網とつながった。

日本が初めて受け取った国際電報

1872(明治5)年1月17日、岩倉使節団がサンフランシスコから長崎県令(知事)あてに打った英文の電報が大北電信会社長崎電信局に到着した。この電報はサンフランシスコからアメリカ大陸を横断し、大西洋ケーブルでイギリスを経由し、欧州、アジアを経てほぼ1日で長崎に到着した。それから東京に着いたのは10日後だった。国内はまだ飛脚の時代だった。

陸揚庫内の予備通信席

上海やウラジオストクから延びる海底電信線は陸揚庫で陸上線と接続され、長崎市内の電信局に届けられる仕組みだったが、嵐などの影響で電信線が断線した時のために、陸揚庫内に電信の送受信が行える通信設備が整っていた。当時使用されていた通信機器は長崎歴史文化博物館に展示されている。