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「四極」陸揚庫会議 稚内・オネトマナイ陸揚室と利尻島・石崎陸揚庫

名 称 石崎海底電線陸揚庫

所在地 利尻富士町鬼脇字二石91番地(旧逓信省所有地、現在は不明土地扱い)

所有者 不明

規 模 間口7.1m、奥行6.7m、高さ4.5m

建築年 1930(昭和5)年11月30日 

設置者 旧逓信省

構 造 鉄筋コンクリート造、モルタル仕上げ

指 定 なし

海底線 

1899(明治32)年9月に、旧逓信省敷設船「沖縄丸」により稚内・抜海村オネトマナイ—利尻島・石崎村間に2心入り浅海線約20kmを敷設。1901(明治34)年8月に2心入り浅海線約21.9kmを増設。1930(昭和5)年6月、稚内・オネトマナイと利尻島・石崎間に電話用4心入り海底ケーブルを新たに敷設。同年11月30日に稚内・オネトマナイ陸揚室と利尻島・石崎海底線陸揚庫を鉄筋コンクリート造に改築した。同一の海底電信線で結ばれていた、相対する2つの陸揚庫が現存している例は聞いたことがない。

2つの陸揚庫、昭和5年に同時に改築

利尻島側の石崎陸揚庫は保存状態が比較的良好なのに対して、稚内側の「オネトマナイ海底電線陸揚室」は建物の半分以上が倒壊している。旧逓信省が2つの陸揚庫を昭和5年にコンクリート造に建て替えたという記録があり、いわば兄弟の関係にある。建物の意匠などに共通点がある一方、オネトマナイは屋根がレンガ積みになっているのに対し、石崎には外見上、レンガは見当たらないなど、謎も多い。旧逓信省が同時に改築したものなら、同じ仕様で造りそうなものだが…。

屋根のパラペット部分がレンガ積みになつているオネトマナイ陸揚室

稚内・オネトマナイ陸揚室の露出した鉄筋

レンガの下にアスファルト防水が見える(稚内・オネトマナイ陸揚室)

稚内・オネトマナイ陸揚室には根室と同じく門柱がある

稚内・オネトマナイ陸揚室の入り口庇

この海の先の利尻島・石崎陸揚庫と海底線でつなかっていた

石崎陸揚庫に残る4心(写真上)と2心の海底電信線
石崎陸揚庫のケーブルピットには海底線が2本残っている。1本は2心入りで電信用、もう1本は4心入りで、電話用と考えられる。2本とも床下からまっすぐ壁に沿って立ち上がり、壁の金具でしっかり固定されている。根室の陸揚庫にも海底線が残っていたが、室内でどのように陸上線とつながれていたのかは分かっていない。また、庫内は6つのエリアに分かれており、2部屋しかない根室よりも規模が大きい。トイレも備えている。庫内の壁は漆喰が塗られ、腰壁、ドアや窓の木枠の作りなどは根室とよく似ているて興味深い。さらに入口上の庇にはアスファルト防水が見られる点も共通している。

利尻島の石崎陸揚庫

石崎陸揚庫の平面図

電信用と考えられる2心入り海底線

電話用の4心入り海底線

漆喰が塗られた壁

ケーブルピット

ケーブルピットの壁と海底電信線

和式の便器

漆喰が剥がれ落ちた天井

庇の下のアスファルト防水

モルタルが剥がれ骨材や鉄筋が露出