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国後出身81歳「生まれ育った島で墓参りを」ウクライナ侵攻3カ月、ビザなし渡航見通し立たず

 

 ロシアによるウクライナ侵攻から3カ月がたった。今年は元島民ら延べ365人が北方領土ビザなし渡航への参加を申し込でいたが、ロシア側が日本の制裁に反発し、渡航の見通しは立たない。元島民が故郷を訪れる自由訪問で7月に国後島への渡航を希望していた鈴木昭男さん(81)=根室市=は「生まれ育った島に行って、墓参りしたい。その思いは年々強くなっている」と無念さを募らせる。(北海道新聞釧路根室版2022/5/24)

■息子や孫を連れ「死ぬ前に必ず」

 根室市内からはるか遠くに見える国後島最高峰の爺々(ちゃちゃ)岳。「あの辺に住んでいたんだなあ。帰りたいな」。鈴木さんはつぶやいた。

 爺々岳の麓に位置する同島北東部の乳呑路(ちのみのち)で生まれた。島では家の前の浜を駆け回ったり、ヤマメやアメマスが住み、秋になるとサケが遡上(そじょう)する近所の川で釣りをしたりして遊んだ。1945年(昭和20年)の旧ソ連軍の侵攻を受け、鈴木さん家族は47年、樺太経由で根室に強制送還された。

 北方領土墓参の行き先に乳呑路が加わるようになった90年以降、鈴木さんは可能な限り乳呑路への墓参や自由訪問に参加してきた。島には終戦間際の45年7月に病気で亡くなった父・養吉さんら親族の墓がある。鈴木さんの自宅の仏壇には父の戒名を記した札があるものの「父が本当に眠っているのは島だ。いつでも行ける場所じゃないからこそ、行ける時にきちんと手を合わせたい」と語る。

 新型コロナウイルスの影響で一昨年、昨年とビザなし渡航が全面中止になった。今年の訪問予定地に乳呑路は入っていなかったが、足腰の衰えも感じ「もうずっと島に行けなくなるかもしれない」と、参加を決めた。

 だがその思いは2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻により打ち砕かれた。ロシアは日本の制裁に反発し、3月には自由訪問とビザなし交流の停止を表明。日本政府も4月、墓参を含むビザなし渡航の当面の見送りを発表した。鈴木さんは「墓参は人道上なくてはならないのに、国と国の駆け引きに利用されるとは」と嘆く。

 それでも、いつか子や孫を連れて乳呑路を訪れたいという願いは捨てていない。幼いころ遊んだ川、家があった場所、そして父が眠る墓地に続く道―。「この年になると、簡単に『来年に期待したい』なんて言えない。でも、死ぬ前に必ず息子たちを連れて行き、島のことを教えたい」(武藤里美)