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ビザなし交流30年「育てた友情に大きな役割」色丹島出身の得能さん、築いたつながり信じ再開願う

 北方領土ビザなし交流の日本側第1陣が根室を出発してから、11日で30年となった。第1陣に参加した色丹島出身の得能宏さん(88)=根室市=は、その後も同島のロシア人島民と交流を重ねてきた。ロシアのウクライナ侵攻による日ロ関係悪化でビザなし交流は当面、再開の見通しが立たない。それでも、得能さんは願う。「戦争が終わった後、これまで育てた友情が日ロ関係改善に大きな役割を果たすはずだ」(北海道新聞釧路根室版2022/5/11)

 ビザなし交流の日本側第1陣は1992年5月11日に根室・花咲港を出発し、12日は国後島、13日に色丹島、16日に択捉島に上陸した。各島の岸壁では100人を超えるロシア人島民が日の丸とロシアの国旗、「友好」と日本語で書かれたプラカードなどを手に集まり、島では貴重だった花の贈り物や子どもたちの合唱で出迎えた。歓迎会では領土問題についても話題になった。色丹島では元島民の「一緒に住みたい」との発言に、ロシア人島民が「ふるさとは同じだ」と賛同し、会場から拍手がわき起こる場面もあった。

 得能さんは「それまでも北方領土墓参の枠組みはあったけれど、ロシア人島民に『ここは俺たちが住んでいた島だ』と心の内を訴えられるのはビザなし交流だけ。道が大きく開かれたと感じた」と振り返る。その後もビザなし交流には10回以上、参加した。

 しかし昨年、一昨年は新型コロナウイルスの影響で全面中止となった。今年はロシアのウクライナ侵攻により、思わぬ形で中断を余儀なくされた。ロシアは3月、日本の対ロ制裁に反発し、平和条約交渉の中断やビザなし交流の停止を表明した。日本政府も4月、当面の墓参、交流の見送りを発表した。

 今年春、日本のテレビ局の取材で、得能さんは「島の息子」と信頼を寄せる色丹島のロシア人男性とビデオ通話し、近況を報告し合った。戦争や領土問題には触れなかった。それでも、男性が見せた笑顔や、「必ず島に来てください」と呼びかける表情を見て安堵(あんど)した。「島にもプーチン大統領の支持者がいるから、言えないことがあるのは分かっている。言葉にならない親愛や信頼の気持ちは、顔を見れば伝わってくる」

 ビザなし交流の再開が見通せない今、得能さんには「生きているうちにはもうふるさとに行けないのかな」との思いもよぎる。

 だが、時間はかかっても、いずれウクライナ問題が収まり、日ロ双方が平和条約交渉の再開に向けて動きだす時が来ると信じている。「両国をいい方向に結びつけるには、日本人とロシア人との交流が重要になる。30年間努力して築いたロシア人島民とのつながりはそのときに生きてくるはずだ」と先を見据えた。(武藤里美)

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 ビザなし交流日本側第1陣に参加した得能さんら元島民3人に、昨年末にインタビューした記事の詳報を「どうしん電子版」に掲載しています。

<ことば>ビザなし交流 

日本人と北方領土に住むロシア人がパスポート(旅券)とビザ(査証)なしで相互に行き来する枠組み。最初に1992年4月にロシア側の訪問団が根室などを訪れた。「領土問題解決までの間、相互理解の増進を図り、領土問題解決に寄与する」ことを目的に掲げる。2019年までに延べ2万4488人が往来した。ビザなしの渡航には、ほかに墓参りを目的にした「北方領土墓参」(64年~)、元島民らがふるさとを訪れる「自由訪問」(99年~)がある。