北方領土の話題と最新事情

北方領土の今を伝えるニュースや島の最新事情などを紹介しています。

日ロ友好に貢献 根室の案内所3月末閉館 職員佐々木さん「四島の生活向上分かった」

3月末の閉館を前に、ロシア人との交流を振り返る佐々木雅史さん=根室市花咲港

 【根室】花咲港のロシア人船員向け案内所「根室市インフォメーションセンター」が3月末で閉館する。冷戦終結後の1992年8月に開設され、日ロ交流を30年余り支えてきた。2代目常駐職員として2001年から延べ9千人以上のロシア人と接してきた佐々木雅史さん(64)に北方四島との交流や日ロ友好への思いを聞いた。(北海道新聞根室版2024/3/20)

 「根室にいながら島で暮らすロシア人が変化していく様子を見られたのは面白い体験だった」。北方領土から来るロシア人船員と関わり続けた22年間を、佐々木さんはそう振り返る。

 同センターの常駐職員になったのは01年9月。初代常駐職員として独学でロシア語を学んだ能登静子さんの死去を受け、ロシア200カイリ水域サケ・マス漁の関連でロシア語通訳を根室でしていた佐々木さんに白羽の矢が立った。

 札幌市出身の佐々木さんは水産物輸入などに従事しながら01年2月まで5年半ほどをサハリン州の州都ユジノサハリンスクで過ごして帰国し、同年4月から根室で通訳を務めていた。市に仕事探しを相談したのが縁となった。

 根室市内は91年にロシア人の立ち入り規制が緩和され、カニなどを運ぶロシア人船員が急増した。生活習慣の違いによるトラブルを防ぐため、市は同センターを開設した。

 01年の着任当初は汚れたジャージー姿のロシア人が目立った。原油高などでロシア経済が急成長する00年代中盤からは「身なりがだんだんきれいになっていった」。携帯電話を持つ船員も増え出し「島の生活水準が上がっていくのが目に見えて分かった」と話す。

 買い物などさまざまな相談に対応してきた。「ビザなし交流で親しくなったロシア人船員と日本人がセンターに来たので通訳してあげたこともある」と言う。

 「仮に島が日本に返っても住み続けられるのか」「返還を機に島を離れる場合、日本から一時金をもらえるのか」。05年ごろまでは、北方四島返還に関わる質問をロシア人から何度か受けた。「ある時期まではロシア人にとって島の返還は現実的な話だったと思う」と語る。

 日ロ関係が悪化し、ロシアが北方領土問題を含む平和条約締結交渉の停止を表明してから3月21日で2年。今はそうした質問はない。

 ロシア人の利用者数は98年の1764人がピークだ。00年代も年間400人以上が利用したが、スマートフォンの普及で情報が簡単に入手できるようになると減った。新型コロナ禍前の19年の利用者数は169人で、21年は年間わずか2人になるなど近年は10人に満たず、役割を終えることになった。

 市は4月以降、同センターの一部機能を市北方領土対策課に移し、専用電話でロシア人に対応する方針。今月末に退職し、根室を離れる予定の佐々木さんは「日ロの友好に少しは貢献できたと思う。やりがいのある仕事だった」と笑顔を見せつつ「ビザなし渡航が再開され、日本側からも以前のように島に行けるような状態に戻ってほしい」と願っている。