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根室港に着水したリンドバーグ機を「択捉島」の写真として掲載 北対協「デジタル図録」

北海道新聞で紹介されていた北方領土問題対策協会(東京)のウエブサイトにある「デジタル図録」「北方領土バーチャル資料館」をのぞいてみた。いずれも北方四島の元島民らから寄贈された貴重な資料だが、資料の説明でいくつか疑問を抱かせるものも見受けられた。一例を挙げると--。「デジタル図録」の中に「水上の機体」と題した写真がある。説明には「裏面手書きにて『吉原機』とあり」と記され、昭和初期・戦前に択捉島で撮られたものとしている。この飛行機、どこかで見たような気がして、調べてみると、リンドバーグ夫妻が太平洋横断飛行で根室港に着水した「シリウス号」にそっくりだった。以前、国後島の元島民からデータ提供を受けたアルバムの中に、少しアングルこそ違うが、同じ被写体を写した写真があった。場所は根室港で、昭和6年8月に撮影されたリンドバーグ夫妻のシリウス号だった。飛行機もそうだが、写り込んでいる旗が同じだった。少し破れた日の丸、その下の旗は「根室救難所第二組」とある。

「デジタル図録」より「水上の機体」

根室港に着水したリンドバーグ夫妻の「シリウス号」

ちなみに、『吉原機』とは、昭和6年5月に、当時の報知新聞社が企画した北太平洋横断飛行に挑戦した吉原清治・飛行士が乗り込んだ「報知日米号」(ユンカースA50軽飛行機を水上飛行機に改造)のことだろう。当時、国民の耳目を集めた一大イベントだった。吉原飛行士の日誌によると、羽田から根室に入った後5月9日、小池逓信次官、安藤町長ら等と訣別の杯をあげ、万余の町民に送られて離水。千島列島、アリューシャン列島沿いにアメリカを目指したが、エンジン不調で択捉島・内保湾に不時着水した。島民たちは首まで海水に浸かりながら必死の努力で機体を陸上に引き揚げたという。13日に内保を出発するが、またしてもエンジントラブルで今度は択捉島・紗那に不時着水。14日に紗那を飛び立ったが、ついに新知島近くで遭難し、挑戦は失敗に終わる。「デジタル図録」には、内保湾に不時着水した「報知日米号」と島民が写った写真も掲載されている。説明には「留別村内保 1928~1929年頃/昭和3~4年頃 JAPAN AMERICA JUNKERSと描かれた飛行機の前で、多くの参列者に見守られながら袴姿の少女がパイロットに花束を渡している様子」とあるだけだ。このあたり、きちんと調査して紹介した方がよいと思う。

「デジタル図録」より「岸にいパイロットに花を渡す袴姿の少女」