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ソ連対日参戦79年 侵攻下、消される抑留の歴史 遺骨収集、再開見えず

 旧ソ連の対日参戦から9日で79年。日ソ中立条約を無視した侵攻は、北方領土問題のほか、シベリア抑留の悲劇を生んだ。今もロシアには多数の日本人の抑留犠牲者の遺骨が残るが、ロシアのウクライナ侵攻で収集事業は中断。日ロ対話も先細り、高齢化が進む関係者は危機感を強める。一方、愛国ムードをあおるロシア政府は大戦の歴史を正当化する動きを強め、抑留の歴史は消されかかっている。(北海道新聞デジタル2024/8/9)

シベリアに抑留された当時の生活などを語る西倉勝さん=7日、国会内(玉田順一撮影)

 「今も多くの抑留者が白樺の根っこに埋まっている」。7日に国会内で開かれた記者会見。シベリア抑留経験者の西倉勝さん(99)=相模原市=は抑留者の遺骨収集の中断が続いていることに、危機感をあらわにした。

 5万人以上の命が奪われたとされるシベリア抑留。国は1991年から抑留者の遺骨収集を始め、これまでにロシアやモンゴルなどから約2万2千柱を収容した。だが、コロナ禍とウクライナ侵攻を受け2020年以降、ロシアでの収集は中断。厚生労働省の担当者は侵攻後、ロシア全土の危険情報がレベル3(渡航中止勧告)に引き上げられたことを理由に、「外務省などと相談の上、実施を見送っている」と話す。

 抑留経験者の平均年齢は101歳で、北方領土の元島民の平均年齢の88.5歳より10歳以上高い。存命の抑留経験者の正確な人数は不明だが、多くても3千人程度とされる。西倉さんは「当事者はほとんど亡くなった」と語り、抑留に関する問題が置き去りにされることを懸念する。

 宗谷管内利尻町在住で、4年間の抑留生活を経験した吉田欽哉さん(98)は、19年にロシア極東地方の遺骨収集に参加。スコップとテコを使うなど、作業は人力頼みで30~40センチ掘ると、凍土にぶつかった。「ドローンや機械を使うなどして、効率化しないといつになっても終わらない」と嘆く。

 吉田さんは抑留中、亡くなった仲間を埋める際は「俺が必ず迎えに来る」と声をかけたという。「日本で安らかに眠ってほしい」との思いから遺骨収集への参加を切望し、「医者にはあと5~6年は生きさせてほしいとお願いしている。何としても仲間を日本に持って帰りたい」と話す。

 コロナ禍前までの年間の遺骨収集数は200柱ほど。現在もロシアなどでは3万柱以上の遺骨が残されたままとみられ、仮に遺骨収集が再開された場合も、事業が完了する見通しは立たない。「全国強制抑留者協会」(全抑協、東京)が毎年のように行っていたロシア各地に残る抑留犠牲者の埋葬地への慰霊訪問も、侵攻下で中断が続く。

 ロシアはウクライナ侵攻に対ロ制裁を科した日本を「非友好国」に指定し、日ロ関係は戦後最悪とも言われる。以前は厚労省などが、抑留死亡者の資料入手のためにロシア側とやりとりし、現地の公文書館への訪問なども行っていたが、対話はほぼ途絶えている。

 上川陽子外相は8日の記者会見で、「外務省としても遺骨収集の再開と抑留中死亡者の資料提供をロシア側に求めている」と説明。しかし、外務省幹部は「日ロの外交上のやりとりの中で、シベリア抑留はほとんど話題になっていない」と打ち明ける。

 事態の進展に向けた兆しが見えない中、抑留体験を語り継いでいるシベリア抑留者支援・記録センター(東京)は7日、日ロの政府間協議再開やロシア側の遺骨収集事業への主体的な参加などを求める要望書を岸田文雄首相あてに提出した。

 同センター代表世話人の有光健さん(73)は「日本だけでできることには限界があり、ロシア側を動かさないといけない」と強調。「抑留者が少なくなる中、実態解明のために動くなら来年の戦後80年までが最後のチャンス。国は抑留の問題をほったらかしにせず、積極的に動いてほしい」と訴える。


■歴史修正続くロシア 「戦犯」5人の復権取り消し

 旧ソ連崩壊後、日本人抑留の非を認めたロシアだが、プーチン政権下で「負の歴史」を修正する動きを強めてきた。特に2022年2月のウクライナ侵攻以降、その流れは加速している。

 「これらの人々は名誉回復の対象ではなく、罪は完全に証明された」。ロシア外務省のザハロワ情報局長は7月中旬の記者会見で、「戦犯」としてシベリアに抑留した旧日本軍人5人の復権を取り消したと説明した。

 抑留した一部の日本軍人らを、一方的な裁判で「戦犯」とした旧ソ連。1993年に訪日したロシアのエリツィン大統領は、抑留が「非人間的行為」だったと認めて謝罪し、旧日本軍人らの復権も進んだ。

 しかし、ロシア政府は2023年1月、関東軍作戦参謀を経て伊藤忠商事会長を務めた瀬島龍三氏ら3人の復権を取り消すと唐突に発表。今回の5人を含め計8人の日本軍人が再び「戦犯」扱いとなった。ロシア側は決定理由を説明していないが、ウクライナ侵攻に制裁を科した日本との関係が悪化する中、日本軍国主義の犯罪を強調し、「抑留の歴史」も正当化する動きだ。

 プーチン政権は愛国心を鼓舞し、国民を結束させるため、第2次世界大戦でドイツだけでなく日本に勝利したとの歴史宣伝を強めている。昨年導入された高校生向けの新たな歴史教科書では対日参戦や北方領土の領有を正当化する主張を大幅に拡充。抑留には以前の教科書と同様、触れていない。

 抑留の犠牲者が多かったシベリア・イルクーツクでは、以前は抑留者が建てた建築物を回るツアーなどが企画されたが、地元歴史ガイドは「関心を持たれないので、もう8年ほど前から行われていない」と語った。

サハリン中部スミルヌイフにある「樺太・千島戦没者慰霊碑」。日ソ両国の犠牲者を追悼している=2023年7月

 戦前、日本が北緯50度線南側を統治していたサハリンでは、かつての日ソ国境に近い中部スミルヌイフ(気屯)に日本政府が1996年に建設した「樺太・千島戦没者慰霊碑」が立つ。コロナ禍とウクライナ侵攻の影響で2020年以降、日本側関係者の訪問はほとんどなくなったが、ソ連兵も追悼する碑のため、ロシアの地元行政府などが維持している。

 ロシア側は、対日参戦で激戦となったスミルヌイフ周辺などで犠牲者の遺骨や遺品の捜索を続ける。「日本から解放」した英雄として、たたえるためだ。旧ソ連は日ソ中立条約を無視して侵攻したが、捜索を主導する社会団体幹部は地元メディアに「サハリンの全住民に解放の歴史を伝えたい」と語った。

<ことば>シベリア抑留 1945年(昭和20年)8月9日、当時まだ有効だった日ソ中立条約を無視して対日参戦した旧ソ連が旧満州(現中国東北地方)や樺太などに侵攻し、旧日本軍兵士や民間人を拘束。シベリアなどの収容所に連行し、鉄道建設、鉱山などで強制労働させた。厚生労働省によると、抑留者約57万5千人のうち約5万5千人が飢えや寒さなどで亡くなったとされる。56年の日ソ国交回復まで帰国事業が続き、抑留期間が10年以上に及んだ人もいた。