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ロシアメディアは2月7日の「北方領土の日」どう伝えたか

 毎年2月7日は「北方領土の日」。この日は、復興主義を志向する軍・政界とその支持者がロシアに領土問題の存在を思い出させ、クリル諸島南部の島々の返還を要求する日である。「北方領土の日」が制定されたのは1981年。東京では恒例の「北方領土返還を求める全国大会」が開催され、政府や公的機関、元島民ら計約1,100人が参加した。岸田文雄首相がスピーチを行い「ロシアのウクライナ侵攻により、日露関係は厳しい状況にあるが、領土問題の解決と平和条約締結に向けた路線を堅持していく」と述べた。同氏は、新型コロナウイルス感染症パンデミックのため、クリル諸島にある日本人墓地への墓参が2020年以降実施されておらず、この人道的プロジェクトの再開が最も重要な課題であると指摘し、ロシア側に再開を求めると強調した。首相は、すでに高齢となっている元島民の「気持ちに応える」という真剣な意向を表明した。挨拶に立った人たちは「北方領土問題の解決に向けた外交交渉再開の兆しがない」など、昨年に比べて好戦的な発言を強めた。そして大会の決議文書では「不法占拠」という表現が使われた。こうしたことはすべて、指導者層にロシアへの批判的なムードが蔓延していることを証明している。

 「故郷を追われた島民たちは、いつか必ず島に帰れる日が来ると信じていた。しかし、故郷に戻ることができずに78年が経過した。島民の多くは亡くなり、さらに悪いことに希望を失った。そして、今も生きている元島民には残された時間がほとんどなく、先祖の墓を訪ねる機会を作りたいと願っている」と国後島の元島民・野口繁正さんはスピーチで語った。

 一方、日本の北部、北海道の東端にある根室市では、根室海峡を挟んで島々が見える場所で、返還を求める住民大会が開催された。地元住民ら750人が参加した。参加者の中には20〜30歳の若者もいたことは注目に値する。羅臼町では、国後島を一望できる展望台に返還運動の参加者らが集まり、「北方領土を返せ!」と叫んだ。

 県庁所在地の札幌市では、領土問題の解決に向けた取り組みを結集した「北方領土まつり」(北方領土フェスティバル)が開催された。港湾都市の釧路では、自治体当局が返還要求を支持する署名活動を行った。

 日本の「北方領土」(編集者注:「北方四島」という別名もある)は、国後島択捉島色丹島を含む小クリル列島(歯舞群島)のことである。歯舞群島が島ではなく、小島と岩の集合体であることを知っている人はほとんどいない。しかし、この純日本的な地図用語は「北方領土」や「四島」とともにロシアの情報空間に浸透した。

 ロシアと日本の領土問題は、3世紀にわたって何らかの形で存在してきた。「北方領土の日」は、日本人がたまたま選んだものではない。1855 年 2 月 7 日、ロシアと日本の間で貿易と国境に関する下田条約が締結され、これによりウルップの南に位置するクリル諸島の島々が日本に譲渡されることになった。ウルップの北にあるクリル諸島の残りの部分はロシアの一部となり、サハリン島は両国の共同所有のままとされた。1875年5月7日のサンクトペテルブルク平和条約によると、クリル諸島の残りの部分はサハリン島全体と交換され、サハリン島はロシアの所有となった。1904 年から 1905 年の日露戦争の結果に基づくものだった。サハリンの南半分は日本に譲渡され、クリル諸島は日本領のまま残された。第二次世界大戦の敗戦により、日本は南樺太クリル諸島を失い、ソ連に譲渡された。同時に、両国間に平和条約は結ばれておらず、日本はその条約締結の条件として、1855年の下田条約のときと同様にクリル諸島南部の島々の返還を要求している。

 国家間の緊張を緩和するため、1992年以来、南クリルの住民と日本国民との間のビザなし交流が民間外交として実施されている。元島民はビザなしで先祖の墓を訪れることができた。しかし、2020年は新型コロナウイルスのためビザなし渡航は実施されず、2022年以降は日本が国際的な反ロシア制裁に参加したことで、日露関係は悪化した。ロシア外務省は平和条約の交渉プロセスから一方的に撤退し、それによってクリル諸島と日本の間のすべての交流が停止された。

 また、2023年4月には「千島・歯舞諸島住民の会(※千島歯舞諸島居住者連盟)」、今年2月5日には「北方領土返還を求める連合(※北方領土復帰期成同盟)」がロシアでは好ましくない団体とされ、ロシアでの活動が禁止された。(sakh.online 2024/2/8)