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択捉島・紗那に残る「2つの鐘」--郷土博物館の展示から 「いつか戻って来ることを願って、寺院の鐘を外部の目から隠したのではないか」

択捉島の社会政治新聞「クラスヌイ・マヤーク(赤い灯台)」とクリル郷土博物館の共同プロジェクト「博物館の秘密:展示の歴史」から、今日は鐘についてのお話。郷土博物館には2つの鐘が展示されている。これらは別々に博物館に収蔵され、外見は似ているが、異なる方法で使用されていた。博物館のリリア・パリイ館長がすべてを詳しく教えてくれた。1つは2014年、1930年代に日本が建てた古い郵便局の建物(クリリスク=紗那の中心部にあり、現在は戦勝広場とオベリスクがある)の解体中に見つかった。地面を掘っていた掘削機が鐘を引き上げた。この時、掘削機のバケット歯が鐘に突きささり、その跡は永遠に残ることになった。鐘は博物館に移送され、それが日本の梵鐘であることが判明した。博物館に展示されているこの半鐘の隣には、朱色に塗られた「兄弟」が展示されている。こちらは1989年に博物館に「登録」された。愛好家らは、朱色の鐘は当時の消防署の櫓に取り付けられていたものだと主張しているが、収蔵時の記録によれば、朱色の鐘はゴリャチエ・クリュチ(瀬石温泉)から譲り受けたものだ。それが寺院の梵鐘なのか消防の半鐘なのか、いつ朱色に塗られたのか、今日でも謎のままである。「勝利広場の建設の過程で見つかった鐘は、日本が降伏した後に、いつかまた戻って来ることを願って、寺院にあった鐘を外部の目から隠したのではないか」と館長は示唆した。鐘の高さは53cm、直径は31cmある。このタイプの鐘は、日本では「梵鐘」または「釣鐘」と呼ばれている。鐘の形は仏陀の坐像を表していると考えられている。音を鳴らすには、手に持つ撞木やロープからつるした鐘突き棒などで外側から叩いた。鐘の低くて深い音はかなり遠くまで届くため、時間を数えたり、火災、地震津波などの警報に使用された。さらに、鐘の音には超自然的な特性があると信じられており、死者の世界でも聞こえると考えられている。日本の新年には、この鐘が108回鳴り、人間の悪徳が除かれると信じられている、とリリア・パリイ館長は語った。日本で最も古いこのような鐘は西暦約 600 年に遡る。鐘のすべての突き出た部分には、それぞれ独自の意味と名前がある。例えば、鐘の上部にある、運んだり吊るしたりするための龍のような形をした取っ手を「竜頭」、「龍頭」が付いた鐘のドーム状の部分を「笠形」という。「乳」は鐘の響きを良くする上部の突起で、「駒ノ爪」は鐘の下の縁である。博物館に来れば、さらに多くの興味深い話を学ぶことができる。(赤い灯台テレグラム2023/5/28)

※取り壊された紗那郵便局の跡地から見つかった半鐘については、紗那警察署前にあった櫓に取り付けられていたものではないかと考えていたが、最近、紗那郵便局前にも櫓があり、そこに半鐘が吊られていた写真が見つかっている。朱塗りの半鐘は、以前元島民から聞いた話では紗那にあった法傳寺のものということだったが…。郷土博物館の記録では瀬石温泉から引き取ったものという。

        写真右の半鐘が紗那郵便局跡地から発見されたもの

紗那郵便局全景。玄関右側にある櫓に半鐘が写っている。(外地海外電気通信史資料「千島・樺太・沖縄・小笠原の部1 」より)