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<ビザなし交流30年>2万4488人往来 対話「領土」タブーに

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 日本人と北方四島のロシア人島民が相互に訪問するビザなし交流が、今年で開始30年を迎える。北方領土問題の解決に向けた相互理解の促進を目的に、主権問題を棚上げした特別な枠組みで行われ、これまで延べ2万4488人が相互に往来。日本側の参加対象者は徐々に広がり、新たな関係を築いてきた。だが、交流の中で領土問題の議論はタブーとなり、近年では規制を強めるロシア側とのトラブルが相次ぐ。コロナ禍で2年連続往来も途絶えるなど、四島交流は揺れ続けてきた。(北海道新聞2022/1/3)

 30年前の1992年4月22日午後、四島のロシア人島民19人を乗せ、根室市花咲港に接岸した貨客船を元島民らが温かく出迎えた。ビザなし交流が始まった瞬間だった。同年5月12日には日本側の訪問団45人が国後島・古釜布(ユジノクリーリスク)に上陸した。

 それまで旧ソ連が実効支配する四島への日本人の渡航は、元島民の墓参を除き厳しく制限され、ロシア人島民の北海道などへの訪問も認められてこなかった。しかし、東西冷戦後の雪どけが進む中、91年に来日した旧ソ連ゴルバチョフ大統領が、北方領土とのビザなし交流を提案。「双方の法的立場を害さない」形で始まった。

■参加枠広がる

 日本政府は当初、返還運動の意味合いが薄れることなどを懸念し、ビザなし交流の参加資格を元島民、返還運動関係者、報道関係者らに限定。ただ、98年に「学術、文化、社会など各分野の専門家」に拡大し、99年には元島民や家族が古里を訪れる「自由訪問」事業も始まった。墓参事業も含め、1年間に「ビザなし渡航」で四島を訪れる日本人は延べ千人前後に拡大した。

 四島への関与を強めたい日本と、経済支援を引き出したいロシアの利害一致を背景に、2000年代前半まで交流は比較的安定した軌道を描いた。しかし、原油高に支えられ、ロシアは経済力を回復。05年ごろからプーチン政権下で、四島領有は「第2次世界大戦の結果」とする主張が強まる中、ビザなし交流への風当たりが増していく。

■ロシア強硬に

 ロシア側は、08年に四島を訪れる日本人に、ロシア法に基づく「出入国カード」の提出を要求。09年に日本が改正北方領土問題等解決促進特別措置法(北特法)で北方領土を「わが国固有の領土」と明記すると、四島側がビザなし交流の受け入れを一時拒否した。10年には、日本人とロシア人島民との対話集会が「政治的だ」として、領土問題を主テーマとしない住民交流会への見直しを迫られた。

 開始20年が過ぎると、交流のマンネリ化や、ロシア側からの訪問が観光目的化しているとの批判も強まる。北大スラブ・ユーラシア研究センターの岩下明裕教授は「もともと領土問題解決までの暫定的なものとして始まり、ここまで長く続くことは想定されていなかった。いくら交流しても領土問題が解決しそうもないという状況ができてしまった」と指摘する。

 12年に誕生した第2次安倍晋三政権下で、日ロの政治対話は活発化した。プーチン大統領が来日した16年12月の首脳会談では、四島での日ロ両国の企業による共同経済活動の検討開始とともに元島民の墓参の手続きの簡素化で合意した。

 四島交流の促進が期待されたが、17年にビザなし交流で国後島を訪れた日本語講師の教材が「重量超過」を理由に没収されるなど、ロシア法を厳格に適用する動きが頻発。返還運動関係者は「いつか通年で日本人が滞在できる状況にしたかったが、相当厳しいと思わされた」という。

■コロナで中断

 19年10~11月にはビザなし渡航の枠組みを活用し、共同経済活動の試験事業で初の日本人観光ツアーが実現。だが、これを最後に新型コロナウイルス感染拡大で、四島へのビザなし渡航は途絶えている。

 ビザなし交流の30年間の成果について、林芳正外相は記者会見で「日本国民と北方四島住民との相互理解の増進が着実に図られてきた」と強調する。領土交渉は行き詰まった状況が続くが、岩下教授は「四島との交流をやめれば根室はますます疲弊し、元島民も島に行けなくなる。領土問題が何らかの解決をした時に、顔の見える関係ができていればきっと生きるはずだ」と、交流を続ける意義を語る。(東京報道 文基祐)

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