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サハリンに北前船主倉庫 小樽で活動の西谷家 専門家「貴重な遺産」

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 1905年(明治38年)から45年(昭和20年)まで日本が統治したロシア・サハリン(樺太)南部のコルサコフ(大泊)で、石川県加賀市を拠点として明治期に小樽市樺太に進出した北前船主、西谷(にしや)家の石造倉庫が残っていることが分かった。樺太に進出した北前船主の活動はほとんど分かっておらず、専門家は「手がかりとなる貴重な歴史遺産」と評価している。(北海道新聞2021/5/11)

■加賀に写真残る

 北前船に詳しい小樽商大の高野宏康学術研究員が、北海道新聞が提供した現在の石造倉庫の写真と、加賀市の西谷家邸宅に残る26年(大正15年)撮影の倉庫の写真を照合。倉庫にしるされた西谷家の家印(いえじるし)「ニ」や、隣接する線路の位置が一致することなどから、同一の建物と確認した。サハリンで北前船主に関する建造物が確認されるのは初めてとみられる。

 倉庫は、日本統治時代の建造物の旧北海道拓殖銀行大泊支店の近くにあることから、これまで拓銀の倉庫との見方もあった。築100年前後と古いが、耐久性に優れた重厚な造りで、コルサコフ歴史郷土博物館によると、現在はロシア国防省の軍施設として使われているという。

 西谷家は江戸時代の1760年に加賀で創業し、北前船交易で財を成した。1889年(明治22年)に小樽に進出。道内初の営業倉庫である旧小樽倉庫を建設した。鉄道の発展などで北前船が衰退する中、道内外で倉庫業、海陸運輸業など幅広く活動。1906年明治39年)に樺太庁の要請で大泊に進出した。

■活動実態は不明

 ただ、西谷家を含め北前船主の樺太での活動実態は分かっていない。石造倉庫も記録がほとんどなく、構造や使途は不明のままだ。樺太遺産を調査する北海道大の角幸博名誉教授は、樺太で石を産出した情報がなく「灰色が強い札幌軟石系を使用し、旧小樽倉庫と同じ木骨石造とみられる」と推測する。

 26年の写真には倉庫の周囲に船客待合所や旅館が写り、この地が船舶と鉄道をつなぐ物資、旅客の輸送拠点だったことをうかがわせる。高野氏は「倉庫は小樽と樺太の関係を示す貴重な歴史遺産。現地調査を行い、北前船主の事業が新天地でどう進化したのか解明したい」と話している。

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