北方領土の話題と最新事情

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1992年5月11日-17日 ビザなし渡航日本側第1陣 国後、色丹、択捉3島訪問

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 ビザなし交流(北方四島交流)で日本側第1陣が北方四島を初めて訪れたのは1992年(平成4年)5月11日でした。団員は元島民12人をはじめ、行政関係者10人、報道関係者15人など45人で、6泊7日の日程で国後島色丹島択捉島の3島を訪問しています。

北海道新聞1992年5月11日

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根室】4月下旬の北方領土からのビザ(査証)なし渡航に続いて、日本からの第1陣となる「北方四島北海道訪問団」(団長・中田州哉道北方領土対策本部長、45人)が11日午前8時半過ぎ、民間の旅客船「コーラルホワイト」(352トン)で、快晴の根室・花咲港を出発、最初の訪問地である国後島の古釜布(ユジノクリリスク)へ向かった。訪問団は国後、色丹、択捉の3島を6泊7日の日程で訪ね、17日に帰還する予定。

 訪問団は、本格化するビザなし渡航に向けて、現地の宿泊施設、港湾、交通、集会場などの視察をする「事前調査」が主な目的。併せて現島民との交流を深めることにしている。一行は道、外務省、総務庁などの行政担当者10人、箭浪光雄・千島歯舞諸島居住者連盟理事長ら元島民12人、報道関係者15人などで構成されている。

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毎日新聞1992年5月11日

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 「しっかりと故郷を見てきたい」と胸をはずませる旧島民。「この交流を領土返還の弾みにしたい」と話す行政関係者。北方領土へビザなしで渡航する日本側第1陣の訪問団は11日朝、根室市民らの見送りを受けて花咲港からチャーター船「コーラルホワイト」(352トン)で出港した。花咲港には午前7時半過ぎから多楽会、色丹会など旧島民組織や市民ら約400人が見送りに駆けつけた。

 

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 【古釜布=国後島】民間旅客船「コーラルホワイト」号(352トン)で国後島・古釜布(ユジノクリリスク)沖に停泊していた北方領土とのビザ(査証)なし渡航日本側第1陣「北方四島北海道訪問団」の一行45人は、12日午前6時25分(現地時間午前9時25分)、ロシア側はしけで古釜布に上陸した。

 

北海道新聞1992年5月12日

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読売新聞1992年5月14日

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 国後、色丹両島を管轄する南クリル地区の行政当局は、物不足のなか、急ぎユジノサハリンスクサハリン州政府に物資の応援を仰ぎ、北海道からのビザなし訪問団を迎えた。サハリン州の特約紙「ソビエツキー・サハリン」によると、冬期間、サハリン州と四島を結ぶ船便が欠航していたため、四島では貯蔵の食料品類が底をつき、歓迎しようにも、テーブルクロスや食器類も満足にそろっていなかったという。

 このため、南クリル地区の行政当局はユジノサハリンスクに「特使」を派遣して応援を求め、必要な物資が国後島に到着したのは訪問団上陸の前日の11日だった。

 同地区当局者は一行の到着を「歴史的」と位置付け、最大限の歓迎態勢をとったが、同紙は「交流を成功裏に進めるのは楽ではない」と伝えている。

 

読売新聞1992年5月13日

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 【色丹島穴澗13日=ビザなし訪問団同行記者団】日本から北方領土への初の査証(ビザ)なし渡航第1陣「北方四島北海道訪問団」の一行45人は、13日午前9時50分(日本時間6時50分)、ロシア側はしけを使って第二の訪問地・色丹島穴澗(クラボザボーツコエ)に上陸、前日の国後島古釜布(ユジノクリリスク)同様、島の人たちの熱烈な歓迎を受けた。出迎えには100人を超える人たちが岸壁に顔をそろえた。子供たちが「カチューシャ」を合唱するなか、団員たちはにこやかに下り立った。

 

北海タイムス1992年5月14日

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 【斜古丹=色丹島】「あの消波ブロックのあたりに家があったんだ…」。日本側ビザなし訪問団のメンバー、得能宏さん(58歳)は45年ぶりに訪れた斜古丹のわが家の跡を目前に、指をさすだけでその地に立つことができなかった。

 北方四島北海道訪問団は13日、斜古丹を訪れたが、得能さんら斜古丹出身者3人は一行を離れ、昔の自宅を捜しに出掛けた。案内役は現島民のソコロフさん(56歳)。4月にビザなしで本道を訪れた時に得能さんらと約束した。

 斜古丹湾の岬突端近くにある得能さんの自宅跡に向かったが、港湾施設のゲートが締まり、ゲートの向こうにはロシアの警備艇が数隻停泊中。得能さんは近くの桟橋から約500メートル先の岬をじっと見つめ、無念そうに立ち尽くした。

 

読売新聞1992年5月15日

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 【ユジノサハリンスク(ロシア・サハリン州)=15日】本道からのビザなし訪問団は15日午前、択捉島紗那(クリリスク)に上陸しようとした際、クリリスク地区当局から団員の受け入れ費用を請求され、一時、険悪なムードになったことが、サハリン州の特約紙・ソビエツキー・サハリンに入った情報で明らかになったが、四島側のビザなし交流に対する複雑な受け止め方を改めて示したケースと言える。

 クリリスク当局から訪問団を乗せた「コーラルホワイト」に費用(団員1人1万7,000円)を請求してきたのは14日深夜。こうした費用は、双方の事前協議ではロシア側が負担することになっていたもの。国後、色丹島上陸の際は、当然、請求はなかった。

 訪問団は支払いを拒否したというが、択捉島での受け入れ対応が一変したことに地元紙「赤い灯台」のドゥドレバヤ記者は、ユジノサハリンスクからの電話取材に対し、次のように話している。

 「地区の行政担当者が2月の取り決めを知らないはずはない。住民のビザなし交流に対する不満が反映されたものだ。ビザなし訪問は同じ条件で行われるのがスジなのに、4月の北方四島からの訪問団が20人なのに対し、北海道からはどうして45人も来るのだろう。おまけに彼らの受け入れ費用を私たちが負担するのはおかしい」

 

北海タイムス1992年5月17日

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 「日本人排斥の先頭に立ってきたあなたたちが歓迎会の席にいるのはおかしい」--。16日、択捉島に上陸した「北方四島北海道訪問団」のため紗那(クリーリスク)市街で行われた歓迎会で、出席していた現島民が同島を管轄するクリール地区の行政担当者を激しく非難する場面があり、他の島とは違う領土問題をめぐる複雑な状況を見せつけた。

 午前10時半過ぎに始まった歓迎会はコンサートに続き、同地区議会のアレクサンドル・クーチェル(40歳)議長の提案で領土問題の討論になった。ウラジミール・カシブルク同地区副議長(33歳)が「島ではこれまでに1万2000人が生まれた。返還はわれわれにとって問題解決にならない」と発言。

 箭浪光雄千島歯舞諸島居住者連盟理事長が「私は戦争当時の為政者に責任があると思う。島に残りたいならば、共に汗を流し島を開発しよう」と受けると、会場から拍手が起きた。

 この直後、中年の女性島民2人が相次いで発言。昨年秋、地区議会がアイヌ民族を除く日本人の排斥をいったん決議したことに触れ「議長らが日本人を歓迎するのは偽善」などと厳しい口調で迫ると、同調する拍手が起きた。 

カシブルク副議長は「私は島返還には反対だが、隣人との友好に反対しているのではない。協力して発展することには賛成している」などと話した。

 ここで、クーチェル議長が突然「時間がない」と、打ち切りを宣言。「内部問題なので皆さんに関係ない」と訪問団に釈明した。

 排斥決議はその後、否決されており、この情報が住民にうまく伝わらなかったのか、あるいは混住賛成なのか、住民の発言の真意をつかむ暇はなかったが、訪問団の中からは「みんな一緒に暮らしたがっているんだ」との声も出た。(同行記者団)

 

北海道新聞1992年5月18日

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 日本からのビザなし渡航第1陣となった「北方四島北海道訪問団」に参加した元島民12人に、今回の訪問についてそれぞれの印象、感慨を聞いた。(同行記者団)