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「この灯 絶やさずに」ビザなし来年30年 根室で専門家会議・詳報

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 北方領土のビザなし交流が来年、開始から30年を迎える。根室市は17日に交流のあり方を考える専門家会議を設置し、岩手県立大の黒岩幸子教授の講演会とシンポジウムを市内で開いた。シンポジウムには千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)副理事長の河田弘登志さん(86)、色丹島元島民の得能宏さん(87)、根室商工会議所会頭の山本連治郎さん(73)、交流を支援する「ビザなしサポーターズたんぽぽ」代表の本田幹子さん(63)が加わった。進行役は谷内紀夫・根室市北方領土対策監。主な内容を紹介する。 (北海道新聞釧路根室版2021/7/27)

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岩手県立大・黒岩教授講演「実利ある交流を」

 ビザなし交流には1992年に通訳として初めて参加しました。当初、島のロシア人たちは給料も出ないボロボロの生活ながらも、元島民の日本人に対して親密な感情を見せていました。かつて島に住んでいた日本人に共感を覚えたのでしょう。

 ビザなし交流の対話集会では、日本側が「領土問題を解決して一緒に住もう」、ロシア側は「経済協力しよう」と訴え続け、議論は平行線をたどりました。その後、領土問題が解決しない限り日本側の経済協力が引き出せないと分かると、ロシア人島民は対話の場に出て来なくなりました。

 2011年に最後に行った時、完全に島は変わっていました。ビジネスライクな雰囲気になり、(四島を事実上管轄する)サハリン州政府の影が見え隠れしていました。「サハリン州知事はクリール(北方領土と千島列島)に配慮してくれています」と、それまで聞いたことのないようなあいさつや、「ここまで来たら引き渡しなんかありえない」という声を聞きました。

 交流の可能性について、アイデアは出尽くしていると思います。根室の皆さんはいろいろ知恵を絞ってきて、管内の自治体が06年に作った提言書では「日用品を四島に(有償で)持って行く」「経済特区をつくる」と書いています。友好交流だけでは、最初は華やかに始まっても続きません。やっぱり双方がもうからないと。具体的なことを進めるのが必要な時期です。

 歴史を見ても、根室と四島は有機的に一体化して交流してきました。ビザなし交流が始まって30年たちますが、諦めることなく、北方四島を組み込んだ実利のある交流をしてほしいと思います。

■シンポジウム 人間関係継続が「財産」

 谷内氏 ビザなし交流に成果はあったでしょうか。

 河田氏 1994年に国後島択捉島に行きました。そのとき、ここは日本人の領土だと率直に言ったつもりです。根室に来たロシア人との懇談でも「私は小学5年生まで歯舞群島多楽島にいたんですよ。突然、旧ソ連軍がうちに土足で入ってきた」と伝えました。交流を通じて、互いに言いたいことを言う。それが大切ではないかと思います。

 得能氏 交流が始まったときに喜んだのは、ロシア側から先に来てくれたことです。友好ムードをつくることができました。その後、私を含めて四島の出身者12人が代表として訪問しました。色丹島の穴澗では、はだしになって、古里の砂浜の感触を楽しみました。択捉島の紗那では大変な歓迎を受けました。(新型コロナウイルスの影響を受けている)最近2年間を除けばビザなし交流は切れ目なく続いてきました。これからも続けないといけない。

 山本氏 私が小、中学生のころはコンブ漁に出た船が毎年のように拿捕(だほ)されました。暗いニュースばかり聞いていて、ロシア人にもそういう印象がありました。ビザなし交流が30年も続くとは思ってもいませんでした。この灯を絶やしてはいけません。

 本田氏 母が元島民で熱心に返還運動をやっていました。ビザなしで根室に来た青少年のホームステイを受け入れていました。私もお手伝いしました。母が一生懸命な姿を見て(領土問題が)解決に向かうのかなと期待しました。結局、そうなりませんでしたが、仲の良いお友達もできました。この30年間はとても重要だったと思います。

 谷内氏 お母さんは(旧ソ連に島を奪われた)元島民でありながら、ロシア人島民を受け入れました。

 本田氏 自分たちが島を追われ、帰れないのは悔しいし、悲しい。でも母はいつか島が返還されると思っていました。その時、ロシア人の子どもたちを島から追い出したら、自分たちと同じ思いをさせてしまう。そうはしたくない。島が返っても子どもたちや島の人たちと一緒に住むしかない、と言っていました。

 谷内氏 「買い物ツアー」などの批判もあり、13年から交流の見直しが行われました。青少年の受け入れは東京など大都市で行う、全ての事業に国会議員の参加を促す―などです。

 黒岩氏 根室を通過点にし、大都市を見せたいという発想なのでしょうか。ロシアにもモスクワなど大都市があるのに。国会議員も(領土問題を)分かってくれる人に絞るべきです。

 谷内氏 根室管内の人たちが代表団を組んで島に行き、島の人たちと懇談する事業はありません。国、道にこうした地域間交流を要望しています。船が1隻しかなく日程的に難しいことなどが課題です。

 山本氏 私たちも船を1隻から2隻に増やしてほしいと国に要望したことがあります。定期航路開設や経済交流がビザなしの発展につながるのではないか。

 河田氏 ビザなし交流の最初に立ち返り、どうあるべきか考える必要があります。過去、根室管内と四島の経済のつながりを深めようという時に、あまり賛同を得られなかったことも思い起こしてほしい。

 谷内氏 ビザなし交流の財産は人間関係が継続していることだと思います。

 得能氏 色丹島の私の生家はソ連国境警備隊の基地になり、それ以来立ち入り禁止になっています。ビザなし交流などで島に行き、懇意になった人たちにお願いしました。どうしても生家に行かないと、死んでも死にきれないと。彼らは理解してくれました。13年に特別に入域を許可されました。腹を割って話すと、こういう道も開けます。

(武藤里美、川口大地、黒田理)

<ことば>北方四島ビザなし交流 日本人と四島に住むロシア人がパスポート(旅券)とビザ(査証)なしで行き来する枠組みの一つ。1992年4月に「領土問題解決までの間、相互理解の増進を図り、領土問題の解決に寄与する」ことを目的に始まった。日本人が島を訪れる他の二つの枠組み「北方領土墓参」(64年~)と「自由訪問」(99年~)への参加は元島民らに限られるの対して、返還運動関係者や学術、文化などの専門家にも認められている。2019年までに日本から1万4356人、四島側から1万132人が参加したが、新型コロナウイルスの影響で20年は初めて全面中止になった。今年も再開が見通せない状況が続く。