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シコタン島 愛されていない島

北方四島の話題

 サハリン・インフォ2019/12/31

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人を傷つけない、優しい島

 シコタンは南クリル諸島の最も人里離れた島であり、定住する人々がいる最果ての島である。飛行場も舗装道路もなく、文明の利便性を見つけるのは難しいところだ。しかし、そこには3,000人が住んでおり、将来的にはロシア、あるいは極東で最大規模になると期待される水産加工場が複数存在する。

 一般的に言って、シコタンは人に優しい島である。おそらく、人に危害を加えるクマもヘビも、火山もない、クリル諸島で唯一の島である。最も危険な捕食者は、不注意なハイカーのバックパックを虎視眈々と狙うキツネくらいのものだろう。しかし、海に見とれて断崖に近づきすぎない方がいい。地元の住民は冗談抜きで言う。切り立った断崖から落ちて亡くなる事故が毎年起きているからだ。

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笑顔を振りまく住民たち

 シコタンの住民は驚くほど親切で、誰でも受け入れる開放的な気質を持っている。ここでは、すべてに心がこめられる。見知らぬ旅人がカメラを向けると、手を振って微笑みを返す。地元のティーンエイジャーが長い夜を過ごす、騒々しい音楽が流れる場所に行けば、インスタグラムのモデル探しに苦労はしないだろう。

 人口2,500人のシコタンには2つの小さな村がある。旅客船が着き、教会と役場がある「首都」マロクリリスコエ(斜古丹)と、病院や文化会館、音楽学校があるクラボザボツコエ(穴澗)である。2つの村にそれぞれ大きな水産加工場がある。斜古丹にはオストロブノイ社、穴澗にはギドロストロイ社の最新工場が昨年稼働したばかりだ。

 8km離れた2つの村は未舗装の道路で結ばれており、無料のバスが運行している。バスは1時間に1本、夕方5時が最終だ。住民には不満があるが、道路を歩いていれば、通りかかった自動車が拾ってくれる。

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 2つの村は引き離すことが出来ないオシドリ夫婦みたいなものだ。一方の村に住んでいても仕事場はもう一方の村だったり、互いにインフラ、社会施設を補完し合っている。前の知事ホロシャビン時代には合併の話もあった。

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王様のような暮らしが出来た80年代は良かった

 水産加工場で働くアランは言う。

「仕事は魚。魚が獲れるので仕事がある。何とか生きているが以前の方が良かった。80年代にはたくさん給料をもらい、王様のように好きな場所に行き、好きなものを買うことが出来た。今は違う。アパートの家賃を払い、子供への仕送りをしたら、後は何も残らない」

 シコタンに40年住んでいるアランは、島に6つの水産加工場があった時代を懐かしむ。「毎年、数千人の学生や若者が本土から働きにやって来た」

 年金生活者の二コライ・ニキフォロビッチと彼の8匹のネコが本格的な冬を迎える準備をしていた。穴澗にある彼の家は1970年代に建てられ、長い時代を耐えてきた。冬には容赦ない海風が雪とともに吹き付ける。毎年、どこからかビニールを見つけてきては、寒さ対策で窓をふさいでいる。

「誰もがうまくやろうとしてきたが、なぜかうまくいかない。だから、私たちは自分で生き残るしかない。最近、サハリンで手術を受けた。すべてがうまくいった。神に感謝している。留守の間、隣人がネコの面倒を見てくれた。私たちはハンマーで窓にビニールを張らなければならない、仕事も引退しなければならないが、希望は存在している」

 

島が必要なら、人々が住み続けることが出来るようにするこだ

 様々な問題があるにもかかわらず、サハリン州の豊富な石油や天然ガスがシコタンの大型プロジェクトを実現させた。学校や幼稚園、病院も出来た。高速インターネットもやってきた。最近、完成した賃貸アパート、それは老朽化した住宅からの住み替えの順番を待つ人のためのものであり、軍人や公務員が入るアパートだが、これらはシコタンの住民の間に複雑な感情を引き起こしている。

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「一見、よく見えるが品質がまともであったためしがない。街の真ん中に、砂利の採取場が出来た。アスファルト道路を造るためだが、以前の行政であれば認めなかっただろう」

 イーゴリ・トマソンはシコタンで会った住民の中で、最も快活な人物だった。長靴をはき、フーリガンキャップを被り、日本語を交えてピリ辛の発言をしてくれた。彼と妻は小さなカフェショップを経営し、島にやって来る観光客にアトラクションを提供している。

「島が必要なら、人々がここに住み続けることが出来るようにしなければならない。サハリンや本土で家を買うのに十分なお金をくれるなら、みんなすぐに出ていくだろう。しかし、誰もが持っているわけではない。だからみんなここに残っている。子供たちは島を出て行った。それがすべてだ」と彼は言った。

 イゴールは小さい時に両親に連れられて島に来た。そして島にとどまった。シコタンで作られた缶詰がロシア全国の3分の1を占めていた黄金の時代も、そして、島がライオンの地位を失った暗黒の時代も覚えている。今日、彼はシコタンが忘れられ、ないがしろにされていると感じている。何十年も前、全国各地から人々がこの島にやって来たが、ここにはルーツと歴史がない。

 

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ラフマニノフポルカが日本が造った音楽学校に響く

 津波を避けるように高台に建つ音楽学校からピアノの音が流れている。日本の人道支援の一環で建てられたプレハブの建物は、その後まともに修繕されたことがない。今、音楽学校は子供たちが列を作る全盛期を迎えている。2018年12月以来、エカテリーナ・ミキーヴァが校長を務めている。彼女はヴォロネジからやって来た。

「私はいつでもヴォロネジに戻ることが出来るし、そこには家族がいてアパートもある。だけど、私はシコタンにいる。シコタンのような場所にこそ音楽学校が必要だし、実際にここは最高だ。音楽学校は発展している。私たちは人気が高い楽器、ギターの若い専門家を呼んだ。新しい楽器を導入するために努力している。現在、入学待ちの列が出来ている。小さな建物ではすべての子供を受け入れることが出来ない」と、彼女は微笑みながらピアノに向かった。小さな室内はラフマニノフポルカの調べで満たされた。

 小さな島、限られたインフラ、交通アクセスの問題…しかし、それらすべてのことは修正可能だ。忍耐と目的をもって一生懸命働けば。それが正しいアプローチなのだろう。

「私に尋ねる人がいる。ここにずっと住むつもりか? 私は5年の契約だと答える。そのあとはどうするのか? 分からない。正直に言うと、考え始めると怖い。血栓ができたらどうしよう。この島で救われるのだろうか。ここで死ぬことになるかもしれない」と、最近、島に来たばかりの専門職の人は不安を口にした。

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日本への島の引き渡しの可能性について語るのは主に高齢者

 「日本との領土問題は、サハリンとモスクワの話だ。正直言って。その場所に仕事があれば人々はとどまり、どこにも行かない。正常な条件であれば、人々は領土問題のことは考えない。その一方で、多くの人々は自分たちの別の運命について考えてしまう」と、タクシー会社のユーリ・ナテノクは打ち明けた。

 驚くべきことに、シコタンでは、日本への島の引き渡しの可能性について語るのは主に高齢者である。彼らは90年代のソ連崩壊や大地震の後のひどい時代を生き延びた人たちだ。若者たちは比較的楽観している。高速インターネットが島に出現し、いくつかの社会施設の建設が始まっているためかもしれない。

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 南クリル行政府の副市長で色丹島行政の責任者であるセルゲイ・ウソフは「2020年にシコタンにアスファルト道路が出現する」と語った。

「4年前に比べて、ここは大きく変わっている。以前の学校はバラックだった。1963年に建てられた平屋。床が抜けて、子供たちは寒さをしのぐため、教室の中でアノラックを着込んでいた。今では新しい学校、幼稚園、スポーツ施設、文化の家が建設された。開発はさらに進行している」 

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