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南クリル地区創設75周年 色丹島・穴澗文化会館のボジェンコ館長に聞く

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 南クリル地区の古くからの住民の1人、ウラジミール・イワノビッチ・ボジェンコ。1997年から色丹島クラボザボツコエ(穴澗)の文化会館館長を務めている。昨年9月19日にサハリンで行われた「文化とレジャーの中心、最高の文化の家2019」コンテストで文化会館「母国の朝」は「農村地域の最高の文化の家」に選ばれた。(kurilnews.ru 2021/3/16)

1988年に色丹島に来島 コンサートの質の高さに鳥肌立った

 彼は1988年に高校で音楽を教えるために色丹島にやってきた。「もともとはウクライナの民族合唱団や交響楽団にいて、ラジオやテレビで演奏するなど、レベルの高い活動をしていた。1988年にクラボザボツコエに到着して、最初に聴いた11月7日のコンサートに衝撃を受けた。みんなアマチュアだったが、そのレベルの高さとプロ意識に鳥肌が立った」--。ホールはいつも満席で入るのが大変だった。ソ連全土から若者たちが色丹島に来て、昼は缶詰工場で働き、夜になると文化会館に集まって音楽の練習をしていた。当時、色丹島の企業はアマチュアによるコンサートを盛んに開催していた。文化会館のスタッフはお隣の国後島で、あるいはサハリンの文化施設で演奏していた。

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1994年シコタン地震の後、ディスコや仮面舞踏会で住民励ます

 「1994年10月の地震(北海道東方沖地震)の後でも、我々の活動は止まらなかった。発電機によってディスコや仮面舞踏会が催された。にもかかわらず、色丹島は徐々に衰退していった」--。地震によって文化会館も大きな被害を受けたが、その後の10年で屋根やファザード、ホワイエ、トイレなどを修繕。南クリル地区の行政は重要な財政支援を提供してくれた。しかし、建物が良くなっただけではダメだ。それは全体の半分でしかない。私たちは専門家が文化施設ではたらくことが出来るように努力しなければならない。その意味で、専門家の招聘にあたり彼らのための住宅を割り当ててくれた地区行政に敬意を表する。

創造的な人々の使命 住民の前向きな姿勢を後押しすること

 ウラジミール・イワノビッチは「クリル諸島開発のための連邦プログラムの実施において高い開発率を設定した。住宅、重要な社会施設(2つの村の学校、クラボザボツコエの病院)の建設が活発に進められている。創造的な人々の使命は、この開発ペースを落とすことなく、維持していくことだ。行政が住民の前向きな姿勢を維持するのを助けるために」--。