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北方領土遺産「千島及離島ソ連軍進駐状況綴」…⑥ソ連軍上陸 不安と恐怖

 根室支庁の公文書「千島及離島ソ連軍進駐状況綴」には、ソ連軍上陸直後の緊迫した島の様子を伝える電報や報告がつづられている。f:id:moto-tomin2sei:20181104143742j:plain

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  ソ連軍上陸直後の各役場からの電報には「住民の生命財産 絶対安全」「人心安定」など努めて平静を装う文言が目につくが、各地で金品の略奪や殺傷事件が起こり、島民に不安と恐怖が広がっていった。f:id:moto-tomin2sei:20181104142158j:plain

 

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1945年9月5日

「目下の処本島はあらゆる船舶の運輸交通を禁止せられたり かくては越年物資の輸送不可能なるを以て しかるべく御尽力ありたし 物資は町村住民の外 現地召集解除者四七〇名 漁業雇夫五五〇名越年の見込に付 配慮ありたし」(択捉島紗那村 西尾数一村長)

 冬季間、船の航行が出来ない北方四島では、秋に本道から越冬用の食料などの生活必需品を確保していた。ソ連軍は本土と四島の航行を禁止したため、その手配が出来るのか不安が広がった。行政にとっては来る冬期間の食糧確保が緊急の課題だった。

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1945年9月7日

ソ連国後島を完全領土として取り扱う旨申し立ておれり 掠奪を行い 婦人に対し暴行を加える憂いあり」(国後出張所長)

「当地(留夜別村植内)にソ連軍舟艇にて 約七十名上陸 人家を荒し 金品を強奪 疎開準備する者続出し 民心極度に動揺す ソ連軍のかかる行為を停止 交渉ある様御高配乞う」(留夜別漁業会長)

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            荒井辰男・根室支庁国後出張所長

 

 そして事件が起こる。

1945年9月10日昼頃、国後島泊村の前村長沢田喜一郎さんがウエンナイの自宅にいたところ、略奪に来たソ連兵に射殺された。事件直後、現場に駆け付けた根室支庁国後出張所の荒井辰男所長は「家の中は荒らされ、遺体の発見を遅らせるためか、奥の部屋に運ばれていろいろなもので覆われていた。犯人は二人組とみられ、間もなく逮捕され、軍法会議の結果銃殺刑に処されたと聞いている」と書き残している。 

 

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 国後島留夜別村にある植沖国民学校の金子尚武校長は、一刻も早い引揚げ命令と、島からの脱出者のために土地と家を建てる木材の支給を訴える徳永俊夫・根室支庁長宛ての手紙を書き脱出者に託した。植沖国民学校の罫紙に鉛筆で書かれた手紙が残っている。

1945年9月14日

「兵卒の統制徹底せず、屋内に侵入金品を掠奪すること平然。牛馬の徴発は日々に数を増し、婦女子に対し未遂に終りたるも暴行をふるいたること我区内にも二、三あり」

「食糧は十月以後は暗澹たり。正式引揚を認められざれば死するを待つのみ」

「次の荒天には漁船を所有する者は脱出する模様なれば、之等脱出者に土地と住居に必要なる材木を与へられたし」

「通信機は破壊せられ通信は禁ぜられ、すでにラジオは徴発せられて、さながら暗夜に住む如く五里霧中にして、ソ連兵の暴行を直視して徒(いたずら)に恐怖するのみ」

「引揚命令出でざれば脱出するもの続出、数次に亘らば必ずや発見せらるること当然にして、本土をしたう国民を徒に殺すこととも相成るや」

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