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9月1日午前4時40分 国後島・古釜布にソ連兵500人以上が上陸

北方領土ノート

北方四島上陸・占領作戦には艦船18隻9,400人のソ連兵が参加した』…④

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国後島には3部隊  艦船・輸送船14隻が投入された

 1945年8月31日早朝、ヴィニチェンコ海軍少佐が指揮をとる国後島上陸・占領部隊が編成され、樺太の大泊から上陸用舟艇第DS-31号(自動小銃大隊1個大隊、偵察中隊1個中隊216名)、 DS-34号(衛生中隊1個中隊186名) 、護衛艦EK-4の3隻が出港した。9月1日午前3時40分に古釜布湾の入り口に到着した。

 

 DS-31はアメリカ海軍のLCI-593、DS-34はLCI-590で建造は1944年。6から7月にかけてソ連に移管された。全長48m、全幅7.1m、246トン、速度16ノット(29.6km/h)だった。

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 EK-4 はアメリカ海軍のPF-53マチャイアスで1944年に建造された。全長93m、全幅11.5m、1430トン、速度20.3ノット(37 km/h)。1945年7月にソ連に貸与された。EK-4は北方四島上陸・占領作戦に使用された後、戦後はアメリカに返還され、日本の海上自衛隊の前身である保安隊の警備艇「なら」として、皮肉にも日本の領海を守る任務についた。

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 択捉島に上陸し武装解除に当たっていた掃海艇T-590は、1個中隊100名を乗せて国後島に向かうよう指令を受け、艀代わりに確保した日本漁船を伴って留別を出港、大泊から派遣された3隻の部隊と古釜布湾で合流した。護衛艦EK-4の乗員人数は不明だが、国後島の上陸・占領には少なくとも500名以上のソ連兵が参加した。

 

 9月1日午前4時40分に上陸を開始し、同8時50分に完了している。国後島の日本軍は北部の白糠泊に守備隊本部があり、970名の日本兵が駐屯していたが、抵抗することなく武装解除に応じた。

 

泊村長「今朝5時、連合軍約300名古釜布に上陸」と打電

 ソ連軍上陸を見届けた国後島・泊村の村上茂村長は9月1日、根室支庁に第一報を伝えた。

 「今朝5時、連合軍の一部約300名は古釜布に上陸し、その一部約25名は泊に向け陸

  行している」

 

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 根室支庁出先機関である国後泊出張所の荒井辰男所長からは、「昨日、ソ連軍艦5隻古釜布に入港し、300人が上陸した」(2日付電報)「上陸部隊は武装解除、兵器、被服、食糧徴発の後、9月3日朝、現地隊長以下を乗船させて泊村字東沸に向け出帆した」(3日)と連絡が入った。

 

 国後島には1日に続いて3日、4日と立て続けに2つの部隊が上陸している。古釜布は役場や漁業組合が置かれた泊村に比べれば小さな集落だったが、守備隊本部がある白糠泊から遠く離れていること、湾は砂浜で桟橋もあり、上陸や荷揚げ作業に都合がよかったことからソ連占領軍の上陸地点となり、その後、守備隊本部が置かれた。

 

 第二陣8隻が国後島に到着したのは9月3日午前2時だった。掃海艇T-273、T-274、護衛艦EK-6とともに初めて輸送船5隻が加わった。

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 T-273はアメリカ海軍のAM-250、T-274はAM-262で、いずれも1944年建造され、翌年5月に移管された。全長56m、全幅10m、945トン、速度14.8ノット(時速27 km/h)。

 EK-6はアメリカ海軍のPF-36グレンデールで1943年建造、1945年6月に貸与されたEK-4と同型の護衛艦

 

輸送船は兵員とともに車両、馬、弾薬、食糧などを運んできた 

 輸送船フセヴォロド・シビルツエフは兵員632名のほか馬100頭、大砲7門、自動車30両、弾薬・食糧65トンを積んでいた。もともとはカニ加工船で、1945年8月17日、ソ連太平洋艦隊に輸送船として編入され、樺太岡上陸作戦にも参加した。全長131m、全幅17m、排水量6,687トン、速度8ノット(時速15 km/h)と船足は遅かった。

 

 輸送船ノヴォシビルスクは1919年にアメリカで建造された貨物船。1945年、ソ連に移管された。排水量5,887トン、全長132m、全幅18m、速度は10ノット(約19km/h)。兵員1,847名、馬90頭、大砲20門、自動車26両、弾薬・食糧280トンが積まれていた。

このほか、ネバストロイ、ドニプロストロイ、クラボロフが使用された。 

 

 荒井所長は「今朝フルカマップに軍艦7入港し、4000人上陸した。泊には100名上陸の予定で、各地にソ連駐屯している。上陸地では被害が出ており、人心多少動揺している」と、入港したのは7隻と報告している。

 

 国後島への第3陣は9月4日に到着した。掃海艇T-591(米海軍のYMS-241)と輸送船ナホトカである。ナホトカは1943年アメリカで建造され「アービングW.プラット」と呼ばれていた。レンド・リース協定により、ソ連に移管後、極東海運会社(FESCO)に所属。総排水量10,691トン、全長134m、全幅17.5m、速度11.5ノット(21.3km/h)で、装備は76mm砲1門、20mm機銃9門。兵員1,300人を運んできた。 

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