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9月2日 日本が降伏文書に署名 太平洋における第二次大戦終結

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1945年9月2日、日本の無条件降伏の調印式が行われた。歴史的なイベントは東京湾に停泊するアメリカの戦艦ミズーリで行われた。戦争に負けた国を代表して重光外相と梅津参謀総長が署名した。セレモニーには多数のジャーナリストが招待され、日本と戦ったほとんどすべての同盟国が出席した。アメリカはセレモニーの細部にいたるまで演出を考えていた。ミズーリを訪れる日本の代表団には小さなボートが使用された。敗北した人々にもう一度屈辱を与えるためだ。重光外相がミズーリに乗船した後、同じことがもう1つ起こった。重光外相は中国の代表団の前に、向かい合って立たされた。互いに目を見合い、5分間の沈黙が流れた。これは日本が侵略国であることを改めて強調するために行われた。日本が降伏文書に署名した時、奇妙な出来事があった。重光外相が署名を始めた時、彼のペンにインクがないことが分かった。しばらくためらったあと、彼は秘書から新しいペンを渡され、震える手で署名した。次に署名したマッカーサー将軍は勝利した国の誇りを強調するため、ポケットからペンを取り出してまず日本語で署名し、そして別のペンを取り出して英語で署名した。そしてソ連のデレビャンコ中将が署名…。第二次大戦は終わった。(サハリン・クリル通信2020/9/2)

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ソ連軍の動き】9月2日~5日

9月2日05:40(日本時間は2時間遅い)

国後島に上陸したヴィニチェンコ海軍少佐の部隊は護衛艦EK-4に、日本軍の将校、秘密文書、日本軍の武器を積み込み、古釜布湾からサハリンの大泊に向けて出航した

9月2日08:20

色丹島に上陸したヴォストリコフ海軍少佐の部隊は、機雷敷設艦ギジガに機械と武器を積み、掃海艇T-594、T-596とともに、サハリンの大泊に向けて色丹島を出航した

9月2日10:40

北太平洋隊司令官から、レオーノフ海軍大佐に対し「歯舞群島占領作戦の準備」を指令。指揮はチチェリン海軍少佐。レオーノフ海軍大佐は「9月3日に行動計画を提出するよう」直ちにチチェリンに無線で伝えた

9月2日11:00

東京湾の戦艦ミズーリで日本が降伏文書に署名

 9月3日04:00

チチェリン海軍少佐の上陸部隊、国後島古釜布湾に到着

9月3日06:00

チチェリン海軍少佐が歯舞群島上陸部隊を2つに分けて編成した ①掃海艇1隻(※T-273)、上陸用舟艇1隻(※DS-31)水晶島自動小銃小隊1個小隊)勇留島(狙撃小隊1個小隊)秋勇留島 ②掃海艇1隻(※T-274)、上陸用舟艇1隻(※DS-34)多楽島自動小銃小隊1個小隊)志発島(狙撃中隊1個中隊)春苅島

国後島新聞「国境にて」記事その他の文献による

9月3日11:00

チチェリン部隊が歯舞群島に向け、国後島古釜布湾を出航

9月4日03:50

チチェリン部隊が歯舞群島海域に到着

9月4日13:00

歯舞群島の偵察完了

志発島日本兵420名、多楽島に92名

9月4日19:30

歯舞群島ーの各部隊の上陸完了

志発島(1個中隊)、多楽島自動小銃小隊1個小隊)、春苅島(海軍陸戦隊20名)、水晶島自動小銃小隊1個小隊)、勇留島自動小銃小隊1個小隊)、秋勇留島(海軍陸戦隊20名)志発島には日本兵420名、多楽島92名、水晶・勇留・秋勇留は少数、春苅は皆無

9月5日19:00

歯舞群島での捕虜と武器の引き取り完了

9月5日23:35

チチェリンの部隊が捕虜と武器を乗せて国後島古釜布湾到着

※スラヴィンスキー著「千島占領1945年夏」より