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1945年9月1日午前6時55分 ソ連兵800人が色丹島・斜古丹に上陸

北方領土ノート

北方四島上陸・占領作戦には艦船18隻9,400人のソ連兵が参加した9月1日…⑤

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色丹島に駐屯していた日本軍の兵隊がハンカチに絵の具で描いた1945年9月1日、ソ連軍斜古丹湾入港の様子

 

色丹島上陸・占領作戦 機雷敷設艦と掃海艇2隻、計3隻を投入

 1945年8月31日午前0時30分、ヴォストリコフ海軍少佐指揮下の第113狙撃旅団の2個大隊から成る色丹島上陸・占領部隊が大泊港を出航した。

 スラヴィンスキーの「千島占領--1945年夏」やサマリンの「サハリン州郷土博物館研究紀要第3号」の資料では、掃海艇T-596(狙撃中隊1個中隊、自動小銃中隊1個中隊、衛生小隊1個小隊200名) と機雷敷設艦ギジガ(狙撃中隊1個中隊、迫撃砲中隊1個中隊、対戦車銃中隊1個中隊、対戦車砲小隊1個小隊396名)の2隻とされており、色丹島の斜古丹湾に入ったのは9月1日午前7時だった。機雷敷設艦ギジガは馬59頭、3tトラック2両、弾薬・食糧5トンを積載していた。

 

 掃海艇T-596は1943年にアメリカのワシントン州タコマで建造されたYMS-216で、

1945年7月に「プロジェクト・フラ」によってソ連軍に貸与された。排水量は270トン、全長46m、全幅7.5m、速力は15ノット(28km/h)だった。

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                              掃海艇T-596と同型船

 

 機雷敷設艦ギジガは1937年にオデッサで建造されたソ連の貨物船である。極東海運会社が所有していたが、1939年11月にソ連太平洋艦隊の機雷敷設艦として徴用された。排水量1600トン、全長 74m、全幅 10.4m、速力9ノット(16.7km/h)。

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 斜古丹湾に到着したソ連軍は、無線施設があった郵便局をはじめ、役場、憲兵隊、陸軍病院、漁業会等を占領した。色丹島の穴澗に駐屯していた混成第四旅団(2,800名)は、旅団長ら幹部数人が漁船に白旗を掲げ斜古丹に到着、役場でソ連軍と会見後、捕虜となった。f:id:moto-tomin2sei:20200105164536j:plain

                      戦前の斜古丹湾。中央に桟橋が見える 

 

 根室支庁の「千島及離島ソ連軍進駐状況綴」を見ると、当時の色丹村の梅原衛村長から8月31日午後8時に「ソ連軍使、人員は不明だが、一両日中に入港する旨、部隊に申し入れがあった。会見場所は役場である」との電報が根室支庁に届いていた。色丹島へのソ連軍上陸の日時については、事前にソ連軍から日本軍守備隊に連絡されていたことになる。

 

 梅原村長は北海道本島へ出張中だったが、ソ連軍の択捉島侵攻のニュースを聞いて、8月31日、急きょ島に戻ったのだった。翌1日の朝、梅原村長は斜古丹にあった役場の前にある橋の上に立ち、ソ連の艦船が目の前の日本軍桟橋に横付けするのを確認し、「6時55分 ソ連船3隻 色丹村斜古丹港に入航す」と電報を打った。

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 ソ連軍の上陸を目の前で見ていた梅原村長からの報告は2隻ではなく、3隻となっていた。さらに調べてみると、機雷敷設艦ギジガに乗り込んでいたイーゴル・スミルノフ海軍中尉の手記の中に、色丹島上陸・占領作戦に動員された艦船は機雷敷設艦ギジガと掃海艇T-594、T- 596の3隻と書かれていた。

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 スミルノフ海軍中尉は当時の状況をこう書き残している。

 「色丹島沖に着いたものの、我々は地図を持っていなかったので、どこへ向かえばよ

       いのか分からなかった。すると突然、日本の機帆船が島影から飛び出してきた。掃

  海艇T-594が隊列を離れ、追跡した。機帆船が出て来た場所へ行ってみると、木製

  の桟橋がある小さいが、快適な湾を発見した。上陸する時、日本軍がどう対応するか

  分からなかった。戦闘の準備をし、先に撃たないよう命じられた。日本人は丘の上

  に立って我々の船を見ていた。彼らは撃たなかった」

 

 上陸部隊の兵員は、斜古丹の警防団長を務めていた小泉秀吉さんの証言によると、約600人となっているが、ソ連艦船3隻の乗員を足すと約800人に上る。

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