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FSBサハリン支局 戦時中の南樺太で活動した「協和会」に関する資料を機密解除

1938年から1945年にかけてサハリン南部で活動していた国家主義団体「協和会」のメンバーは、日本の警察の指示を受けて、地元住民の間でソ連や中国、米国、英国、その他の国のスパイの探索を行った。FSB(ロシア連邦保安庁)サハリン支局は、1938年から1945年にかけてサハリン南部で民族主義運動を展開した国家主義団体「協和会」の活動に関する資料を機密解除し、公開した。協和会は南サハリンで朝鮮人皇民化に取り組んだ。スメルシ(スターリン直属の防諜部隊)やМГБ(国家保安省)によって作成された資料には、協和会の活動家による尋問手順、告白などが含まれている。機密解除された文書の日付は 1946 年から 1951 年まで。白浦村(現サハリン州ヴズモリエ)の協和会の元副議長であるオオカワ・ヒデイチ氏は、尋問に対して「地元警察署長は運動参加者に対し、朝鮮人や日本人の中に潜んでいるソ連や中国、アメリカ、イギリスのスパイを特定するよう呼び掛けた」と証言している。同団体の理事であるイノウエ・セイイチ氏も、「この運動の参加者は南サハリンの日本人と朝鮮人の中からアメリカ、イギリス、ソ連のスパイと疑われる人物について日本の警察に通報するよう求められた」と語っている。協和会運動の参加者は、日本軍の訓練などを支援するために朝鮮人の間で行われた募金活動にも参加した。МГБ(国家保安省)の尋問に対し、キム・ケイ・コー氏は協和会の活動家は集会の中で、「ソ連軍が進軍してきた場合にはすべての朝鮮人が団結して立ち上がり、手段を選ばず敵と戦い、破壊しなければならない、と語っていた」と述懐している。ドリンスク(日本名・落合)で集められた資金で戦闘機2機、対空砲、重機関銃が購入され、この功績に対して活動家たちは日本の陸軍大臣から感謝の書面を受け取ったと文書には記されている。

協和会運動について

ロシア国立図書館に所蔵されている出版物『協和会協会』(1944年に西部戦線政治部門発行)によると、協和会運動は1932年に日本の傀儡国家「満州国」で創設された。その結成において決定的な役割を果たしたのは、後に戦犯と認められ1948年に絞首刑となった板垣征四郎大将である。この運動は大日本帝国の占領地域で活動し、FSBサハリン州支局アーカイブ所蔵の機密解除文書に記されているように、「日本の天皇に対する忠誠心」を植え付け、「偉大な日本」と「アジアの新秩序」を創造することに取り組んでいた。南部サハリンでは、この組織は1943年以来、樺太庁(サハリンの日本名)知事の大津敏男が率いていた。活動は日本の憲兵隊と警察によって統制されていた。(タス通信2024/3/9)