北方領土の話題と最新事情

北方領土の今を伝えるニュースや島の最新事情などを紹介しています。

旧ソ連軍の北方四島侵攻、28日で78年「軍艦上陸せり」「言語通ぜず」当時伝える文書集「進駐綴」注目

 旧ソ連軍が1945年8月に北方四島へ侵攻を開始してから、28日で78年。記憶の風化が進む中、侵攻後の四島の様子を伝える道の文書集「千島及離島ソ連軍進駐状況綴(進駐綴)」の価値が改めて関係者に注目されている。島の首長らが根室支庁(現根室振興局)に支援を求めた電報など当時の切迫した状況を記録。道立文書館(江別)で保存されていた資料が2019年に書籍化されており、ロシアのウクライナ侵攻が続く今、関係者は戦争の記憶継承の重要性を訴える。(北海道新聞2023/8/27)

 「8月28日正午 ソビエート軍艦2隻 留別に上陸せり。詳細分別ならず」。進駐綴には、択捉島紗那(しゃな)村長から1945年8月29日、旧ソ連軍が北方領土に侵攻したことを、国の機関だった根室支庁に伝えた電報がとじられている。

 侵攻直後、根室の行政機関は、市内の落石無線局や海底電信線陸揚庫などを通し、四島からの連絡を受信。進駐綴は、終戦から46年7月までの通信や聞き取りの記録など72点を含む。

 資料によると、択捉島へのソ連軍侵攻2日後の8月30日、紗那村長は「船舶の来島禁止せり」と、島外との行き来が困難になった状況を速報。択捉島留別(るべつ)村長は翌31日に「言語通ぜず 至急通訳派遣されたし」と求めた。

 9月1日には国後島泊村長が「連合軍300名が上陸」と伝えた。ソ連軍は徐々に日本側の通信施設を押さえ、電報は択捉島への冬の物資を求めた9月11日のもので途絶える。

 領土を巡る懸念も示されている。9月8日の国後島留夜別村長からの電報は、根室支庁長に「現在も国後島は、北海道の一部なりや」として住民の不安や引き揚げへの指示を求めた。支庁長はこうした不安に対し「領土関係は未だ正式決定を見ず、従って壮者(健康な人)は出来得る限り現地に踏止まり、一致協力今暫くの健闘を切望す」との告知を出したとされる。

 終戦時の四島住民は1万7291人。進駐綴には9月20日現在の避難が2300人余りだったと記されている。逃亡が続けば、四島を日本領としての維持が難しくなるとの危機感が既にあったとみられる。

 進駐綴は道立文書館に所蔵されていたものが、2019年に出版された「戦後千島関係資料」(ゆまに書房)に収録された。出版を監修した京都外国語大の黒岩幸子教授(日ロ関係)は「ソ連侵攻時の四島の指導者たちによる公文書が多く、元島民の個人的体験を超えた重みを持つ一線級の資料」と指摘。分かりやすい現代語訳や解説を添えて広く公開するなどの取り組みが必要と訴える。

 過去に根室振興局主催の進駐綴に関する企画展を開いた根室市の谷内紀夫北方領土対策専門員=国後島元島民2世=は「島民の体験や行政の対応などを記録した唯一の歴史文書」だと評価。戦後78年が経過し、元島民の高齢化が進む中、資料を活用して当時の状況を語り継いでいくことが重要だと語る。(松本創一、武藤里美)

<ことば>旧ソ連北方領土侵攻 1945年8月9日に当時まだ有効だった日ソ中立条約を無視して対日参戦した旧ソ連は、日本がポツダム宣言を受諾した後の18日に千島列島への攻撃を開始。28日に択捉島に上陸し、9月5日までに北方四島の占領を終えた。日本側は四島はロシアに「不法占拠されている」として返還を求めるが、ロシア側は占領を「第2次世界大戦の結果」として正当化している。