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色丹島クリル・アイヌの悲劇 千島列島におけるロシア正教形成の歴史 

ロシア正教ユジノサハリンスク・クリル教区は今年創立30周年を迎える。Sakh.online はサハリンとクリル諸島(北方四島を含む千島列島)における正教文化の発展に関する一連の歴史資料を公開している。(中略)1840年にカムチャツカ、クリル諸島アリューシャン列島の独立教区が設立されると、初代教区長のイノケンティ司教はクリル・アイヌ(千島アイヌ)の運命に大きな関心を払い、正教会の宣教師を島々に派遣した。1875年の日露条約(樺太千島交換条約)によって、クリル諸島は日本の管理下に移された。クリル・アイヌ日本国籍を取得するか、カムチャツカに移住するか選択を迫られた。いくつかの家族はロシア帝国の臣民にとどまったが、日本側にいった家族の運命は悲劇的だった。日本政府は色丹島への移住を強制した。彼らは保留地に置かれ、伝統的な生活様式を奪われた。漁具と船は取り上げられ、海に出ることも禁じられた。日本政府はクリル・アイヌに日本語と仏教を広める措置を講じた。色丹島の正教信徒たちを支援するため、日本正教会のニコライ主教は、繰り返し司祭と要員を島に派遣した。宣教師の一人である正教司祭ティト小松は、色丹島から東京に戻るとすぐにニコライ主教に状況を報告した。「主教は静かに泣き、しばらくしてから私にこう言いました。『あなたは彼らに最も近い司祭なのですから、私たちの主イエスの言葉を実践しなければなりません。それについて詳しく考えてください』」と回想録に記されている。日本正教会はクリル・アイヌのために寄付金を集め始めた。以来、色丹島の小さなコミュニティと日本正教会の間に精神的な一体性が確立された。1945年にソ連軍が色丹島を解放したとき、色丹島でクリル・アイヌの墓地が発見された。最後の首長であるヤコフ・ストロゾフが埋葬されていた。サハリン州アーカイブに保管されている写真には、正教会信徒のクリル・アイヌが埋葬された墓地に十字架が立っている。彼らの先祖はかつてロシアの司祭や宣教師から信仰を授けられ、最後までこの選択に忠実であり続けた。現在、クリル諸島には新しい教会や礼拝堂が開設されている。(sakhonline2023/8/18)

国後島・古釜布の教会

色丹島の教会(斜古丹では2025年完成を目指して新教会が建設されている)

歯舞群島水晶島の礼拝堂