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「択捉島水産会」、再び光を 新理事の安木函大准教授 戦禍の今「歴史伝えたい」

 戦前、北方領土択捉島の漁業者でつくられた「択捉島水産会」に光を当てようと動き始めた人がいる。今年、同会の理事に就任した函館大の安木新一郎准教授(45)。水産基地として発展した函館との歴史的なつながりを市民に広め、終戦後の旧ソ連による侵攻、実効支配で消滅したとされる会員の漁業権の補償を目指す。戦後77年の時を経て、再びロシアによる武力侵攻が起きている現在、安木さんは「戦禍によって失われた記憶を呼び起こしたい」と力を込める。(北海道新聞2022/8/14)

 安木さんはこの夏、函館大校舎の一室に択捉島水産会の事務所を開設した。室内に並んだ段ボール箱には、会員の子孫から集めた文書や島の地図などがぎっしり。択捉島紗那村(クリーリスク)でのサケの水揚げの様子を捉えた写真もあり、漁業者の笑顔は当時の豊漁ぶりをうかがわせる。「函館と択捉をつなげる貴重な歴史を後世に伝える拠点にしたい」と話す。

 兵庫県出身。大阪市立大大学院生の時にモスクワに留学した。その後は在ウラジオストク日本総領事館の専門調査員を2年間務めた。2019年に函館大の准教授となった。

 転機は、父親の代まで択捉島で漁業を営み今年2月に88歳で亡くなった駒井惇助さんとの出会い。駒井さんは14年、休眠状態にあった同会の事務所を65年ぶりに函館市内に復活させ、会員の子孫探しに奔走していた。択捉島のことを知りたいと、2年前から連絡を取るようになり親交を深めた。

 駒井さんの死去で会の存続が危ぶまれたが、「私は函館にも択捉にもゆかりはない。それでも、駒井さんの思いを絶やすことはあってはならない」と、会の活動を引き継ぐことを決心した。

 函館は明治期、択捉島との間に定期航路があり海運が発展していたことから、島の周辺で取れたサケやマスの8割が運ばれていた。この深いつながりを背景に、択捉島水産会は1923年(大正12年)に設立。紗那に本部、水産物の集積地だった函館に出張所を置き、島から運んだ水産物などの製品検査に加え、行政の補助的役割も担っていた。

 同会には現在、元島民の子孫も含め51人が所属する。安木さんは会の足跡をつづる漁業史の作成や、講演会の開催の構想を描く。漁業権の存在を知らない子孫も多いことから、活動を活発化させることで会の存続を図るのが狙いだ。「ウクライナ侵攻の影響で、日ロ関係のあり方に関心を持つ人は少なくない。若者や研究者にも関わってもらい新たな択捉島水産会をつくりあげたい」と話す。

 安木さんには会員の漁業権の補償という目標もある。水産庁は、46年の連合国軍総司令部(GHQ)との覚書により、元島民らの漁業権は「消滅した」としている。安木さんは、北方領土を固有の領土とする政府方針と矛盾しているとし「漁業権自体が、北方領土が国土であると示す要素として欠かせないはずだ」と訴える。補償は生前、会員の権利回復に取り組んだ駒井さんから託された遺志でもある。「侵攻や支配。そうした力によって変えられた営みがあったことを伝えたい」。安木さんの挑戦は始まったばかりだ。(矢野旦)