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夢乗せて飛べ「チャイカ」 色丹島から北海道へ

今日付け(2022/5/23)の釧路新聞「余塵」欄に、ビザなし交流が始まった30年前、日本側訪問団第1陣に同行記者として参加した山本記者が興味深いエピソードを紹介している。「訪問3日目の色丹島で、日程が押していたためにロシア人島民が準備していたプログラムの大半がカットされた。その時に『これだけは』と少女が歌ってくれた曲が『チャイカ』。ロシア語でカモメの意で『希望の象徴』だという。ロシア人島民が作詞作曲した曲は、その希望を乗せたカモメを北海道へ飛ばす--というものだった。遠いモスクワより近くの北海道--そうした希望が確かにあった。そうして始まった草の根交流。ウクライナ侵攻で閉ざされたが、30年分の扉は閉まらないと信じたい。」--。「チャイカ」という曲は、いったいどのような歌だったのか、ぜひ聴いてみたい。

1992年5月の色丹島・穴澗湾。日本側訪問団第1陣を「かもめ」たちが空から出迎えた。

夢乗せて飛べ「チャイカ」 北海道へ  色丹島で「友好の夕べ」

毎日新聞1992年5月14日

色丹島13日ビザなし訪問団同行記者】13日朝、色丹島穴澗に上陸した日本からのビザなし訪問団(中田州哉団長、45人)は同日午後、同島斜古丹に移動し、水産加工場見学やショッピングなどを楽しんだ。この日は予定にはなかった元島民の生家跡視察や墓参が認められたり、交流会で北海道への夢を託したオリジナル曲が披露されるなど、色丹島民のイキな計らいで交流が一気に加速。訪問団員も感慨深げだった。 (略) 斜古丹地区文化会館での「友好の夕べ」では、地元のコーラスグループが歌や踊りで歓待。中でも地元の人たちが作詞、作曲したという「チャイカ(かもめ)」という曲は、かもめに夢と希望を乗せて北海道へ向けて飛ばすという内容で、場内を埋めた訪問団を感動させた。