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取り残された旧漁業権

 北方領土色丹島出身の得能宏さん(87)が引き揚げて根室に住んだのは終戦から2年以上過ぎたころだった。

 父は島で営んでいた漁業を続けようとしたが、根室においては漁業権がない。得能さんは中学校を休んで浜に打ち上げられたコンブを拾い、乾燥させて売って家計を助けた。そうして実績を積み、漁協に漁業者として認められるようになり、やがては船を持つようになる。

 祖父の代からあった色丹島での漁業権が継続できていれば、そんな苦労はしなくて済んだのではないかとつくづく思う。(北海道新聞2022/2/6)

 同じような境遇に置かれた北方領土の旧漁業権者は数多い。関係団体が長年にわたり、政府に補償を求めてきたが、納得のいく回答はいまだにない。

 旧漁業権者の間には、北方領土を「日本固有の領土」としつつ、その住民の権利をないがしろにしてきた政府の姿勢に対する憤りがある。

 1950年、日本政府は新漁業法の施行に伴い、全国の旧漁業権を消滅させて新漁業権の免許を行った。旧漁業権者には補償金が交付された。しかし北方四島の旧漁業権は、46年の連合国軍総司令部(GHQ)覚書によって既に消滅したとして新漁業法が適用されず、補償も行われなかった。

 沖縄や小笠原諸島の旧漁業権は戦後も継承され、施政権復帰の際に日本政府の補償措置が取られている。北方四島の旧漁業権者には、自分たちだけが取り残されているとの思いが強い。

 政府は61年、四島の旧漁業権者ら援護のための特殊法人を設立し、10億円の基金を創設、事業や生活資金の融資などに充てた。政府はこれをもって、旧漁業権補償問題は解決済みとの態度を示してきた。

 しかし、旧漁業権者の側の認識は異なる。GHQ覚書によって旧漁業権は消滅せず、北方領土が返還されれば、かつての漁業権も戻ってくる。政府は、施政権が及ばない現状が続いていることに関し、何らかの経過措置を講じるべきだ。基金による融資は返済が必要で、補償とは言えない、というものである。

 72年に設立された「北方地域漁業権補償推進委員会」は、補償要求額を298億円と算出し、政府など関係機関に毎年要請を行ってきた。先月も委員会幹部らが東京に赴き、元島民の高齢化が顕著なことから補償を急ぐよう求めた。

 道立文書館には北方領土の旧漁業権を記載した原簿が保管されている。傷みの目立つ表紙をめくると、旧漁業権者の住所や氏名、免許の設定や変更の日付などが書かれている。元島民らの財産を証明する重要な資料が書庫の中で、じっと領土返還の実現を待っているかのようだ。

 だが、北方領土問題に対する政府の姿勢はこのところぶれが目立つ。安倍晋三元首相は56年の日ソ共同宣言を交渉の基礎にし、2島返還にかじを切る姿勢を示した。「100点を狙って0点なら何の意味もない」との理由だという。

 その判断に至る過程で、戦後返還運動を担ってきた元島民の存在は考慮されたのか。返還要求の照準が半分になれば、運動の機運も半減、またはそれ以上に減ることにならないか。そうした疑問を残したまま後継政権に引き継がれた領土問題は、一向に解決の糸口が見えない。

 あすは政府が定めた「北方領土の日」。岸田文雄首相は「領土問題を解決して平和条約を締結する」と繰り返すが、対ロシアの関係だけでなく、政府と元島民の間に残された国内問題についても解決に向けて認識を新たにする機会とすべきだろう。(西村卓也)

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