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<択捉は今 旧ソ連四島侵攻79年>㊤ 途絶えた交流、消えゆく「日本」


 旧ソ連北方四島侵攻開始から79年が過ぎた。四島最大の島・択捉の今を伝える。(北海道新聞2024/8/29)

■旧国民学校、火災で全焼

 8月下旬、北方領土択捉島中心部を流れる紗那川の河口近く。住宅街を歩くと、1メートル近い雑草が生い茂る一角があった。

 日本統治時代の1938年に建てられた木造建築「旧紗那国民学校」の跡地。学校は旧ソ連の占領後も消防署などに活用され、北方四島に残る数少ない日本建築の一つだったが、2023年1月に火災で全焼した。

 「近年は空き家となり人の目が届かず、子供がいたずらで火を付けた」。近くに住む60代男性は、現地を訪れた北海道新聞のロシア人スタッフに語った。雑草に埋もれるように残っていたのは、門の一部とみられる台座一つだけだった。

 79年前の45年8月28日、日ソ中立条約を無視して侵攻したソ連軍に占領された択捉島。当時、暮らしていた約3600人の日本人は48年までに島を追われた。

 2022年2月にウクライナでの「特別軍事作戦」を開始したロシアは制裁を科した日本に反発し、日本人が四島と往来するビザなし交流などの合意を破棄。日本人が訪れるのは困難になった。

■老朽化進む旧測候所

 紗那(クリーリスク)の高台には、1902年に建てられた中央気象台(現在の気象庁)の旧測候所が残っていた。一時期、ロシアが地震研究所の出張所として使っていたとされるが、屋根の一部ははがれ、さびで覆われた扉は平日でも施錠され、人の気配はなかった。

 

 昨年5月には、建物内に戦前から設置されていたセイコー社製の柱時計が地元博物館に寄贈されたという。だが、近くに住む若い女性は関心なさげに言った。「何かの研究施設だとは知っていたけど、日本の建物だとは知らなかった」

  日本人の訪問が途絶えた島。そこでは過去の「歴史」の痕跡も静かに消えかかっていた。

■日本車の四駆が人気

 約7千人のロシア人が暮らす択捉島で最大の集落・紗那。8月下旬、行き交う車のほとんどは、トヨタ自動車三菱自動車などの四輪駆動車だった。中心部以外はまだ未舗装の悪路が多い中、日本車は性能が良く、壊れにくいとして人気は根強い。

 紗那川河口から約20キロ上流には、戦前の1920年大正9年)に日本人が建てたサケ・マスふ化場が残っていた。99年から島の水産建設企業ギドロストロイが使い、現在は年間1千万匹を超すサケの稚魚を育てる。北方四島で戦前の日本建築物が現役で活用されている数少ない例とみられる。

 ふ化場の半分は90年代に火災で焼失。2016年にビザなし渡航で訪れた日本人訪問団が、木造平屋と養魚池が残っているのを確認したが、施設の関係者によると、21年に屋根などは撤去された。現在は雨ざらしの養魚池だけが残っていた。

 

■「5年以内に壊す」

 「日本時代のものは100年たってもすごく丈夫で、今でも使える」。責任者のエレナさん(52)はこう語ったが、「5年以内に全て壊し、規模を拡大してより近代的な施設を建設する予定だ」と明かした。

 島民によると、島北部蘂取(しべとろ)にある比良糸ふ化場跡の建物なども残っている。だが、「誰も行かないので道が草木で埋もれ、もうたどり着けない。建物の状態はわからない」という。

 日本人の元島民らの墓参団が北方四島を最後に訪れた19年8月から5年。20年にコロナ禍、22年にロシアによるウクライナでの「特別軍事作戦」が始まり、日ロ関係は急速に悪化した。高齢化する元島民らは墓参再開を切望するが、見通しはたたない。

 

■日本人墓地管理されず

 択捉島で最も多い330柱の日本人が埋葬されているとされる紗那墓地は、人の腰より高い雑草で覆われ、一部の墓石は埋もれたり倒れたりしていた。管理は行政当局だが予算不足のため今年は一度も除草されていないという。

 

 5年前に墓参団が最後に訪れたのは島中部にあるポンヤリと留別の日本人墓地だ。郊外にあり、誰も管理していないが、墓標や慰霊碑は当時のまま残っていた。

■墓碑に鉄のバラ

 訪れる人はほとんどいないとみられるが、留別墓地周辺の草にはタイヤのわだちが残り、墓碑に鉄製のバラが供えられていた。5年前に墓参団を案内したシュミーヒンさん(58)によると、ここ数年の間に誰かが置いたとみられる。

 「私は日本人が好きだ。墓参りに来るならいつでも案内する」。シュミーヒンさんはそう語ったが、こう続けた。「19年までは毎年交流があり、多くの島民が日本に関心があった。今は交流がないことが日常。大半の住民はもう日本を意識していない」

 

 旧ソ連の占領から79年という長い年月に、交流が途絶えた5年は重い。島を事実上管轄するロシア・サハリン州クリール地区行政府のオスキナ地区長は26日、北海道新聞の取材に「日本の建物などは島の歴史の一部だが、使わない建物や役に立たない建物は消えていく」と語り、交流再開の可能性についてこう答えた。

 「政府が日本を『非友好国』と決めた。それ以上コメントできない」

(本紙取材班)