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北方領土墓参見通せず焦燥感 伊達の元択捉島民「早く交流復活して」

 

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 【伊達】ウクライナ情勢に伴い日ロ関係が悪化する中、ロシアが北方領土のビザなし交流や自由訪問を停止し、西胆振に住む北方四島の元島民も焦燥感にさいなまれている。択捉島出身の富川和子さん(85)=伊達市在住=は、元島民の墓参も見通せない状況に「孫を島に連れて行き、語り継ぎたかった」と下を向く。島を追われた記憶はウクライナの情勢とも重なり、戦闘行為の終結を強く祈っている。(北海道新聞室蘭・胆振版2022/4/12)

ウクライナ人のつらい気持ちわかる」

 「2018年に1度だけ空路墓参に参加した。あれが最初で最後の墓参にならなければよいが」。択捉島紗那(しゃな)(クリーリスク)で生まれた富川さんは、ウクライナ情勢により日ロ関係が悪化をたどる現状に、悲しみの表情を隠さなかった。

 ウクライナ侵攻を受け対ロ制裁を行った日本への対抗措置として、ロシア外務省は3月21日、元島民らが北方四島を訪れるビザなし交流と自由訪問を停止する方針を示した。ロシア側は墓参の停止はしないとしているが、道によると今年の墓参は見通しがたっていない状況だ。

 富川さんは空路墓参で71年ぶりに故郷の土を踏んだ場面が忘れられない。長年、島の思い出が壊れるのが嫌で、故郷への訪問に二の足を踏んでいたが、「今行かなければ後悔する」と引き揚げの年に島で病死した父貞夫さんの墓参りを決意、18年7月に実現した。

 かつての住居は跡形も無く、ロシア人の街並みが広がっていたが、「不思議とがっかりはしなかった」。父が眠る共同墓地で「やっと来れたよ」と手を合わせた。墓参を機に、心のトゲが消えたという。

 「山にはスズランの群生、川は遡上(そじょう)したサケで真っ黒、砂地には大きい実をつけたハマナスが咲いて、美しい場所だった」。島の見取り図を指でなぞりながら、鮮明に覚えている当時の情景を語る。墓参の時、「紗那の自然は変わらない」と感じた。

 終戦の1945年8月、富川さんは8歳だった。終戦後の旧ソ連軍の侵攻に伴い自宅を追われ、営林署官舎に逃げた。間もなく官舎にも旧ソ連軍が入り、1階に富川さん家族、2階に旧ソ連軍の家族が暮らした。

 引き揚げ直前には官舎も追われ、川沿いにあった倉庫暮らしに。「どうして島を離れなくてはいけないのかと、怖かったし苦しかった。故郷を強制的に追い出された身として、住む場所を奪われようとしているウクライナ人のつらい気持ちが少しわかる。早く戦争が終わって、さまざまな交流が復活してほしい」。

 千島歯舞諸島居住者連盟によると、3月末現在で元島民の数は5474人、平均年齢は86・7歳と高齢化が進むが、日ロ関係の改善と交流再開の見通しはたっていない。(高木乃梨子

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