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樺太残留者の姿伝えたい 写真家新田樹さん9年かけ撮影 写真集携え再訪

 東京都在住の写真家新田樹さん(56)が、終戦後に樺太(サハリン)に残留した朝鮮半島出身者や日本人配偶者らの写真集を手に、ロシア・サハリン州を11月下旬から訪れている。ロシアのウクライナ侵攻前に9年かけて撮影し、昨年出版した作品で、写した人々に感謝を伝えようと届けにきた。大半は既に亡くなっていたが、日ロ関係が冷え込む中、かつてこの地に残った人々の姿を多くの人に知ってほしいと願っている。(北海道新聞デジタル2023/12/3)

 「彼女は本当に小さな人だったのよ。高齢になってよく世話をしたわ」。11月28日、州都ユジノサハリンスク。新田さんの写真集を見つめながら、ロシア人女性が目を細めた。写っていたのは、1939年に樺太で生まれ、2014年に亡くなった木村初子さん。長年の友人だったというロシア人女性が懐かしむ姿に、新田さんもほほえんだ。

 サハリンとの出合いは96年。写真家として独自の作品づくりを模索する中で訪れ、日本語を話す老婦人の多さに驚いた。戦前、日本が統治した樺太は戦後、引き揚げがかなわなかった朝鮮半島出身者や日本人配偶者が残ったが、「なぜ日本語を話すのか。知識もなく接し方も分からなかった」。当時はシャッターを押せなかったという。

 写真家として芽が出ない日々の中、国内外で撮影しながら折を見てサハリンの歴史本を読んだ。「今ならサハリンで撮れる」と思えるまでに14年間を要した。

 新田さんは10~18年に計8回、サハリンに渡航。残留日本人の李富子さん(2021年に死去)が「蛍の光」を「台湾の果ても、樺太も」と聞き慣れない歌詞で歌う姿に、「戦時下に合わせた歌詞を子供のころに教えられたのだろう。戦争の歴史が樺太に確かにあった」と強く感じた。ある女性には「もう来ないで」と拒否され、涙ながらに頼んだこともあった。

 コロナ禍とウクライナ侵攻で再訪が遠のく中、22年に初の写真集「sakhalin(サハリン)」を自費出版。今年、権威ある写真賞をダブル受賞し、「写真集の完成を報告したい」と渡航を決断した。

 撮影した木村さんら5人の女性は1人を除き他界していたが、連絡のとれない家族らを捜そうと、11月末にサハリンの地元放送局にも出演。今月中旬まで滞在し、関係者を回る予定だ。写真の一部は新田さんのホームページで公開している。

 樺太に残留した日本語を話す人々の多くは他界した。「残された人々の境遇や歴史を、遠い地の出来事ではなく自分の両親や祖父母にも起こりえたことだと感じてほしい」。新田さんが写真集に込めた強い思いだ。(本紙取材班)