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四島侵攻伝えた「遺産」<根室 もの言わぬ語り部 北方領土をつないだ陸揚庫>上 

 根室市の中心部から西に2キロ。根室海峡を挟んで国後島を望むハッタラ浜に、鉄筋コンクリート平屋の小さな建物がたたずむ。波際からわずか10メートルに立ち、風雪で外壁が朽ち、雨よけのひさしも所々崩れている。

 戦前、国後島根室を結んだ電信用海底ケーブルの中継施設「根室国後間海底電信線陸揚(りくあげ)施設(陸揚庫)」。北方領土旧ソ連軍に侵攻された当時、歴史に残る役割を果たした。

 根室市歴史と自然の資料館の元主任学芸員で、札幌大の川上淳教授(北方史)は「混乱する島の実態を生々しく本土に伝えたことが、陸揚庫の歴史的役割のハイライト」と話す。(北海道新聞2023/9/26)

■560キロ結ぶ電信線

 「ソ連軍300名が古釜布に上陸。一部は泊村に向かっている」。1945年9月1日、旧ソ連軍が国後島に上陸したことを伝える電報はこの古びた建物を経由し、根室支庁(現在の根室振興局)に届けられた。

 ソ連軍の動きや住民の混乱の情報は次々と根室支庁へ。根室支庁は札幌、東京へ速報した。

 道立文書館に永久保存される道の文書集「千島及離島ソ連軍進駐状況綴(つづり)」には、ソ連軍侵攻当時の北方領土からの電報21通が残る。このうち少なくとも14通は陸揚庫経由で伝わった。

 電信線は根室から海底を通って国後島を経由し、択捉島の北端まで約560キロ続いていたが、旧ソ連による北方領土占領後、日本側が海底ケーブルを切断。施設は地元の人からも観光客からも忘れられ、漁具などの倉庫として利用されていた。歯舞群島志発島出身で、根室市内に引き揚げた臼田誠治さん(84)=根室管内別海町=は「陸揚庫は子どものころの遊び場だった」と語る。

■国の有形文化財

 光が当たったのは98年。国後島元島民2世の久保浩昭さん(55)=根室市=がその歴史を知り、保存会を立ち上げた。2013年には根室市が土地と施設を買い取り管理。15年には根室振興局が「北方領土遺産」に位置づけ、21年には国の登録有形文化財になった。

 久保さんは語る。「モルタルがそげ落ちた様子は、深いしわが刻まれた年老いた北方領土の元島民のように見える。若い人に北方領土をもっと知ってくれと訴えているようだ」

 根室北方領土関係者は最近、この建物を「もの言わぬ語り部」と呼ぶようになった。(根室支局 川口大地)=3回連載します