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訪問10回 故郷は良いもの 国後島泊村出身・村山トミさん(93)=別海町<四島よ私たちの願い 日ロ交渉停止>42

 「国後島は本当に魚介類が豊か。海はコンブで揺れ、秋にはサケが浜に押し寄せた」。国後島泊村出身の村山トミさん(93)はこう懐かしんだ。(北海道新聞根室版2023/7/19)

 15歳まで暮らした泊村で、父はホッキやカニの缶詰工場を経営しており、裕福な家で育った。「14歳ぐらいの時にホッキ掘りをした。小さな穴を目印にくわを入れるとたくさん取れた。一斗缶で煮て、干した物をおやつにしていた」

 1945年9月に旧ソ連兵が上陸。同11月、父と2人の妹と弟の5人で島を脱出した。船に缶詰や米などを積んで暗い海を進み、頼る場所もなく根室を目指した。到着すると、幸運にも、国後時代に一家が度々買い物していた反物屋の夫婦の家に、2、3日世話になることができた。「人に優しくすると、返ってくるものだね」と村山さん。

 その後、9歳上の姉イクオさんの嫁ぎ先の標津町忠類へ。「姉の家族と自分たち、合わせて15人分の食料の確保が大変だった。知り合いの農家にキャベツの要らない部分をもらったり、工場から廃棄するでんぷんかすをもらってだんごにしたりした。ウジ虫を取り除いて食べた」と振り返る。

 標津の姉、出征していた兄を除くと、年長だった村山さんは、生きるために「学校も行かずに仕事をした」。畑作やコンブ採り、まき売りなどで働き、32歳の時に漁師と結婚。別海町尾岱沼に転居した。

 根室管内での暮らしが長くなっても故郷への思いは消えることはなく、1997年に自由訪問で国後島に戦後初めて渡った。出身地の泊村には足を運べていないが、島には墓参などを含めて通算10回ほど訪れたという。かつてハマナスがあった場所が更地になるなど、変わり果てた島の姿も目にした。「もう高齢なので行けないが、何年たっても故郷は良いものですね」と語った。(森朱里)