北方領土の話題と最新事情

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1992年4月21日 択捉、国後、色丹のロシア住民がソ連船「マリーナ・ツヴェターエワ」で北海道へ向かった ビザなし交流30年

(31年前の今日)1991年4月18日、ソビエト大統領ミハイル・ゴルバチョフが東京を訪問した際、共同声明が採択された。その中で、ソ連側は、日本国の住民と上記の諸島(※歯舞群島色丹島国後島、択後島)の住民との間の交流の拡大、日本国民によるこれらの諸島訪問の簡素化された無査証の枠組みの設定、この地域における共同の互恵的経済活動の開始及びこれらの諸島に配置されたソ連の軍事力の削減に関する措置を近い将来とる旨の提案を行った。これを受けて、協議が行われ、ちょうど1年後の1992年4月19日、択後島からの最初のビザなし交流参加者がヘリコプターで国後島に飛んだ。そして、南クリル地区の国後島色丹島の住民と合流し、4月21日、ソ連船「マリーナ・ツヴェターエワ」で日本の北海道へ向かった。これが2019年まで28年間続いたビザなし交流の始まりである。(しかし、2020年に)新型コロナウイルス感染拡大のために中断された後、今年の3月、日本がロシアに対する制裁に加わったことにより、ロシア外務省の決定によりビザなし交流はキャンセルされた。【択捉島の新聞クラスヌイ・マヤーク(赤い灯台)2022/4/18】

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「友好の泉」

この石碑は、北方領土との相互交流が始まった1992年(平成4年)に当時の中標津町長が択捉島を訪問した際、「友好の証」として、クリール地区議会の議長から贈られたものです。石碑の片方は択捉島紗那地区に設置されています。(中標津町ウエブサイトより)

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中標津町

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択捉島・紗那にある「友好の泉」のプレートの半分