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国後島自由訪問 遠浅の古釜布海岸 貝を拾う人、沈船、そしてソ連軍上陸の記憶

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国後島自由訪問(2019.6.21-24)

 高台から望む古釜布湾--。遠浅の砂浜が続く海岸にはまだ沈船が放置されていた。貝でも拾っているのだろうか、のどかで、どこか懐かしい風景だが、1945年9月1日午前8時40分、ソ連軍がこの浜に上陸した。まさに、この場所。今も記念碑が建ち、戦車が野外展示されている。

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❐元島民の記憶

 終戦当時、私は国後島の古釜布でお父さん、お母さんと3人で暮らしていました。9月1日の朝、明るくなった頃、沖の方に大きな船がたくさんあったのを覚えています。そのとき、私は戦争に負けたのでアメリカがやってきたものと思っていました。

 しかし、しばらくするとその船が上陸しようとこちらに向かってきました。私は家の正面にある浜で町のみんなと船を見ていましたが、段々と近づいてくる船に掲げられている旗を見て、「ソ連が来た!」と分かり、恐くなって家まで逃げました。まさか、ソ連軍が上陸してくるとは夢にも思っていませんでした。

 上陸の際、大きな船は浜が浅瀬のため入ってこれず沖に停泊しており、上陸用の船だけが浜にやってきたように思います。はっきりとした数は逃げてしまったので覚えていません。ただ、たくさんの船がやってきたという記憶はあります。

 船の大きさについては、もっと小さいもので帆などはついていなかったように記憶しています。小舟のような感じがしました。

 ソ連軍が入ってきて1週間くらいしてからであったように思いますが、家を奪われて、私の家族は引っ越しを余儀なくされました。引越先は佐藤造船所の向かいの辺りで、そこはソ連軍の車庫として使われていました。そこにあった車は全部アメリカ製のジープやトラックであり、そのことは今でもはっきりと覚えています。

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