北方領土の話題と最新事情

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択捉島でも「勝利の日」を祝う式典開催 紗那の人口の8割にあたる1,200人が参加

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北方四島の話題

 サハリン・インフォ2019/5/10

ナチス・ドイツを倒した大祖国戦争の勝利から74年、択捉島でも記念式典やイベントが行われた。クリリスク(紗那)では、9日正午から戦勝記念広場を会場に記念式典が開催。戦死者を悼む1分間の黙とうの後、ロコトフ市長は「赤軍ナチス・ドイツとの戦争を終結させたことを誇りに思う。戦死した兵士と銃後で兵士を支えた人々に感謝し、哀悼の意をささげる。択捉島にはこの戦争に参加した退役軍人はいないが、私たちは広場の記念碑に彼らの名前を永遠に刻んだ」と挨拶した。記念碑に花を手向けた後、式典参加者は戦争で亡くなった家族や友人の写真を掲げながら、市中を行進した。式典にはクリリスクの人口1,500人のうち1,200人が参加した。

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国後島、色丹島 市長らが戦争体験者7人の自宅を訪問し功績をたたえた

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北方四島の話題

 サハリン・インフォ2019/5/9

国後島色丹島では大祖国戦争の勝利から74周年を祝うイベントが開かれた。大陸での赤軍の戦いの後、北クリルのシュムシュ島などで戦いが続き、参戦した兵士たち数十人が国後島色丹島にやって来た。1946年には大祖国戦争に参加した200人以上の兵士が、本土からの移民の一環として島々に到着した。現在では、南クリルに暮らす戦時中の証人は7人しかいない。5月7日から8日にかけて国後島ではブラシェンコ市長が、色丹島ではウソフ副市長がそれぞれの自宅を訪ね、功績を称えた。

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国後島・古釜布 対ドイツ「勝利の日」の記念式典に住民3,000人

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北方四島の話題

 サハリン・インフォ2019/5/9  https://sakhalin.info/news/170268

「勝利の日」の5月9日、好天に恵まれた国後島ユジノクリリスク(古釜布)では、住民3,000人が参加して記念式典が催された。記念碑「英雄たちへの栄光」の前で、ブラシェンコ市長が最も重要な日を祝し、住民たちや軍関係者が記念碑に花をささげた。市街地では第18機関銃砲兵師団や国境警備隊による行進が行われ、ラグンノエ(ニキシロ)の部隊は中央広場で軍の装備と武器の展示会を開催した。ステージでは地元のアーティストが歌やダンスを披露、フィナーレの花火大会まで多彩な行事が続いた。

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ロシア国防省のサイト「人々の記憶」 サハリンとクリル諸島の上陸作戦を無視

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北方四島の話題

 サハリン・クリル通信2019/5/9  https://pamyat-naroda.ru/

ロシア国防省は5月9日の「勝利の日」を前に、ナチス・ドイツとの大祖国戦争や第二次大戦の戦闘記録、参戦した兵士たちのデータをポータルサイト「人々の記憶」で更新し、公開した。しかし、サハリン住民は、サハリンやクリル諸島を解放した上陸作戦に関する記述がすっぽり抜け落ちていることに憤慨している。「人々の記憶」には戦死者や捕虜、軍事作戦に関する100万以上の新しい記録がアップロードされた。軍事作戦のコーナーでは227の作戦が時系列に紹介されているが、日本軍は1945年8月18日までに敗北し、サハリンとクリル諸島での戦闘の記述はなく、すべての戦いが本土で行われたことになっている。一方、国防省のホームページには1945年8月11日から25日まで続いたユジノサハリンスクの攻撃作戦の記録や8月18日に開始されたクリル諸島上陸作戦の情報が掲載されている。クリル諸島上陸作戦では、北クリルのシュムシュ島で激しい戦いがあり、ソ連軍は416人が戦死、123人が行方不明(軍艦から降りて浜に上陸する際に溺死した)、1,028人が負傷した。日本軍は1,018人が死傷し、12,000人が捕虜となった。シュムシュの戦闘は8月23日に終了し、その後、最南端の南クリルで日本軍の降伏を受け入れ、すべてのクリル諸島を占領した。

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国後島の空港で、酒に酔って乱暴した男を拘束 飛行機は2時間遅れで出発

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北方四島の話題

 サハリン・インフォ2019/5/8  https://sakhalin.info/ykurilsk/170228

国後島メンデレーエフ空港のカウンターで、酒に酔った男の乗客が暴れ、ユジノサハリンスク行きの飛行機が2時間遅れた。ウラジオストク在住の男は酒に酔った状態で空港に到着し、カウンターで女性客に暴言を吐き、止めに入った軍人の制服を破くなど乱暴を働いた。警官か駆けつけ、男を拘束。飛行機は男を残して2時間遅れで出発した。

国後島・古釜布 子供たちのダンスグループ「モザイク」が初めての発表会

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北方四島の話題

 サハリン・インフォ2019/5/7

国後島ユジノクリリスク(古釜布)の文化会館で、ダンスサークル「モザイク」の発表会が行われた。団員は4歳から9歳の55人で2年前に結成された島内最年少のダンスグーループだ。ヤロスラブリ出身のポリーナ・カルポワさんが振付を指導している。小さなダンサーたちが初めて披露するステップに盛んな拍手が贈られた。

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択捉島・紗那 大祖国戦争で亡くなった兵士たちを追悼

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r北方四島の話題

 サハリン・インフォ2019/5/8

5月9日の大祖国戦争勝利の日を前に、択捉島リリスク(紗那)の墓地に埋葬されている戦没者を悼む式典が行われた。択捉島には対ナチスドイツとの大祖国戦争体験者は一人も残っていないが、勝利をもたらした彼らの功績と戦後の平和を築いた人々の記憶を語り継ぐため住民が集まった。クリル地区行政府のロコトフ市長が埋葬されているすべての氏名を読み上げた後、黙とうをささげ、式典に参加した人々が墓前に花束を供えた。

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