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1946年9月9日 ソ連占領下の紗那国民学校 校庭で遊ぶ日本とソ連の子供たち

ソ連占領から約1年後の1946年9月9日、択捉島の紗那国民学校の校庭を写した2枚の写真がある。ソ連が島に派遣した学術調査団に随行していたソ連人の写真家イワン・ステパノビッチ・クワチが撮影したもので、撮影日時と場所が記録されている。写真のキャプションには「紗那村の学校〔1946年9月9日〕」とある。写真を拡大してみると、校庭で遊んでいるのは日本とソ連の子供たちと分かる。その紗那国民学校の最後の校長を務めた青田武貴さん(故人)の『紗那国民学校経過報告書』によると、紗那国民学校ソ連軍侵攻から4日後の昭和20年9月1日に、3学級で第二学期の授業を開始し、9月10日には4学級、昭和21年1月には5学級編成となった。この間、昭和20年10月18日にはソ連の学校として日本人児童の教育を実施する方針が決定され、昭和21年1月にはソ連支配下のもとに運営された。昭和22年6月20日、夏休みと同時に全校舎が接収され、ソ連中等学校を併置。日本人、ソ連人の二部制で授業が行われた。この2枚の写真が撮られたのは、ソ連の学校として日本人児童の教育を行っており、ちょうど二学期の授業が始まったばかりということになる。

写真集「千の島を巡る 1946年のクリル探検(原題:По Земле Тысячи островов. Курильская экспедиция 1946 года)」より