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北方領土元島民「政府、ロシアに妥協するな」 故郷に戻りたいけど…

 ロシアによるウクライナ侵攻から4カ月が過ぎた。「故郷に戻りたいという思いは私らと同じなんでしょうなあ」。北方領土の元島民、吉田義久さん(84)=富山県黒部市=は、故郷を奪われて国外避難を余儀なくされるウクライナ人の境遇に思いをはせる。侵攻を機に日露両国の関係は悪化。北方領土交渉も暗礁に乗り上げた。「仕方ない。今のロシアに妥協する必要はない」と吉田さんは静かに語った。(毎日新聞富山版 2022/6/24)

 2月24日、ウクライナ侵攻が始まった。武力で他国の領土を奪おうとするロシアを見て、吉田さんは「今回やっと分かった」と言う。「ロシアは話し合えば理解してくれる国だと思ってきたが、そうではなかった」。北方領土の元島民らでつくる「千島歯舞諸島居住者連盟富山支部」の支部長を長年務めた吉田さん。4島返還を訴え、両国の交渉を辛抱強く見守ってきた。「(交渉で)妥協してくれる部分もあるんじゃないか」との淡い期待は裏切られた。

高齢化進み、返還は「時間との勝負」

 富山県北方領土と関係が深い。明治の終わりごろから富山の多くの漁師が漁業不振のため新たな漁場を求めて北海道の根室方面や歯舞群島に出稼ぎに渡った。このため同県の北方四島からの引き揚げ者は北海道に次いで多い。1425人いた引き揚げ者は戦後75年以上がたち、3月現在で452人に。高齢化が進む元島民にとって4島返還の悲願は時間との勝負になっている。

 吉田さんの両親は黒部市出身。冬季を黒部で過ごした一家は3月末になると、鈍行列車や連絡船などで1週間ほどかけて根室まで行き、歯舞群島水晶島に渡って12月まで昆布漁にいそしむ。幼少期の吉田さんも朝5時に起き、砂利浜で草むしりをし、昆布を干す手伝いをした。「島は山や木がなく、平たんな草原。勉強よりも、野いちごを摘んで食べるのが好きでした」

 1945年8月の終戦時は8歳。「ラジオのある家などなかったが、恐らく役場あたりで(昭和天皇の)玉音放送を聞いたのでしょう」。大人たちは敗戦を知り、集落の長(おさ)は「米兵が来るかもしれないから、いったん根室へ引き上げた方がいい」と家々に説いて回ったという。「ソ連が来るとは誰も思っていなかった」

 実際はソ連軍が千島列島へ侵攻を開始した。8月末、吉田さん一家は、事態が落ち着けば島に戻れるだろうと考え、昆布漁の舟を置いて島を後にした。その後、再び吉田さんが水晶島に上陸するのに、元島民による自由訪問の2001年まで待たねばならなかった。

砕かれた共存共栄の願い

 北方領土択捉島国後島色丹島歯舞群島の「4島」からなる。1855年の日露通好条約でロシアとの国境が初めて画定されて以来、他国の領土になったことはない。日本固有の領土である正当性を訴え、4島を一括で返還されることが元島民の願いだ。

 吉田さんも長年、「語り部」活動などを通して返還を訴えてきた。一方で、ビザなし訪問に参加して島に住むロシア人に知人もでき、「何とか両国が共存共栄できるアプローチはないか」との思いも抱いていた。

 そんな願いを、軍事大国ロシアは打ち砕いた。ウクライナ侵攻を受けた日本の対露制裁に反発し、ロシアは日本を「非友好国」に指定、平和条約交渉の打ち切りを通告した。日本国民と北方四島の島民による「ビザなし交流」も中止するなど対抗措置を強めている。

 「今のロシアには何を言ってもダメ。そういう状況にロシア国民自身も苦悩しているのでは。プーチン(大統領)を降ろさないといけない」と吉田さん。遠い隣国の政治状況に元島民はなすすべも無い。

 ソ連による南樺太・千島の占領について考察する新著「日ソ戦争 南樺太・千島の攻防」(みすず書房)を7月に出版する富田武・成蹊大名誉教授(日ソ関係史)は「プーチン政権が存続する限り、領土交渉は無理。交渉を始めることすら難しいでしょう。領土交渉はロシアが本当に民主化されるまで待つしかない」と言い切る。【萱原健一】

北方領土の地図を示しながら「落ち着けばすぐに島に戻れるだろうと思っていたんです」と話す吉田義久さん=富山県黒部市で2022年6月8日午後3時30分、萱原健一撮影