北方領土の話題と最新事情

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今日は何の日 1948年6月11日 択捉島の地元紙「赤い灯台」創刊

1948 年 6 月 11 日、択捉島リリスク市(紗那)で社会政治新聞「クラスヌイ・マヤーク」(赤い灯台)の創刊号が発行された。同年3月4日、全ソ共産党ボルシェビキ)地方委員会の指令に基づくもので、初代編集長はI. A. チェルビャコフだった。最初の数年間、新聞は2ページ(A3サイズ)で発行され、1950年代半ばから1961年までは4ページ、その後1987年までは紙と予算不足から再び2ページとなった。発行部数も劇的に変化した。1948 年には 1,000 部、1950 年には 600 部。1987 年 3 月 1 日からは4 ページ建てとなった。この時、ライノタイプが導入された。それ以前は、手動で 1 文字ずつ、1 行ずつタイプしていた。2000 年 10 月 18 日からはコンピューターで印刷されており、発行部数は最大 700 部で、週 2 回、水曜日と金曜日に発行されている。スタッフはわずか 9 人。1980 年代後半には編集部と印刷所で 20 人以上が働いていた。「新聞紙上で自治体の生活を報道するプロ意識と高いパフォーマンス」により、2008年の創刊60周年の年に、サハリン州政府から名誉バッジを授与された。(サハリン・メディア2024/6/11)