北方領土の話題と最新事情

北方領土の今を伝えるニュースや島の最新事情などを紹介しています。

「生活の証し消え、とにかく悲しい」 択捉島で戦前伝える校舎焼失

 北方領土択捉島の中心地・紗那(しゃな)(ロシア名・クリリスク)で、第2次世界大戦前の1938(昭和13)年に日本人の手で建設された旧紗那国民学校の建物が焼けた。北方領土を実効支配するロシア・サハリン州などのメディアが伝えた。旧ソ連軍による択捉島占領後の一時期、日本とソ連の子どもたちが同じ校舎で学び、校長が在校生名簿をひそかにお経に筆写して本土に持ち帰るなど、北方領土に暮らした日本人の記憶を伝える貴重な歴史的建築物だっただけに、焼失を惜しむ声が強く出ている。(前朝日新聞根室支局長・大野正美2023/2/1)

 ネットメディア「シティー・サフ」などによると、火事があったのは1月17日朝。住民の通報を受け、消防車5台がナベレジュナヤ(川岸)通りにある旧国民学校の校舎に急行した。火の勢いは強く、消防隊員が学校と周囲の住宅を結ぶ送電線を切断するなどして数時間にわたり消火に当たったが、木造の建物はほぼ焼け落ちた。

 北方領土の歴史遺産にくわしい北海道根室市の谷内紀夫・北方領土対策監によると、紗那国民学校は建設当初、紗那尋常高等小学校と呼ばれた。45年8月の終戦後に択捉島ソ連軍に占領された後は、日本人が島を追われるまで、日本の子どもと移住してきたロシア人らの子どもが午前、午後に時間を分けて同じ校舎で学んだ。日本人が引き揚げた後もソ連の学校として使われ、建物を区分けして図書館、消防署、スポーツセンターとしても使用されてきた。

 しかし近年、旧国民学校の校舎に入っていたこうした施設は自前の建物を新たに整備し、次々に移転していった。図書館も、紗那に新築された行政府やスポーツセンターなどの入る複合施設に移転し、旧校舎は空き家の状態になっていた。